【徹底解説】キリスト教分派の歴史

宗教学を学ぶ上でやはり避けては通れない宗教がキリスト教なのであるわけで、まさしく今ある世界の歴史を創ってきたわけであります。

西洋で発生したキリスト教はその発祥からユダヤ教との対立の中で混乱の渦の中、大航海時代〜コンキスタドール(侵略者)たちとともに宣教師が同行したことは当然のことであり、インカ帝国でも、末路としてのゴールは宣教師がキリスト教への改宗を求め、王をはじめとして屈していったという経緯があります。

そのため、南米ではキリスト教のイメージが強い方も多いのではないでしょうか?

今のローマ教皇だってアルゼンチン出身の方。

ブラジルも大きなキリスト像が象徴となっています。

とはいえ、文化庁によると、日本国内では神道の信者数が8790万人(48.5%)、仏教が8390万人(46.3%)、キリスト教が190万人(1%)、その他の宗教団体の信者730万人(4%)という分布になっており、キリスト教ってすごい有名だけど以外と身近にいないと感じる方も多いのではないでしょうか。

今日はいまさら聞けないキリスト教の歴史と題して、キリスト教のことを筆者自身も勉強しながら徹底解説していきます。

Profile

この記事を担当:音楽家 / 朝比奈幸太郎

1986年生まれ
音楽大学で民族音楽を研究。
卒業後ピアニストとして活動。
インプロビゼーション哲学の研究のため北欧スウェーデンへ。
ドイツケルンにて民族音楽研究家のAchim Tangと共同作品を制作しリリース。
ドイツでStephan Desire、日本で金田式DC録音の五島 昭彦氏から音響学を学ぶ。
録音エンジニアとして独立し、芸術工房Pinocoaを結成。
オーストリア、アルゼンチンなど国内外の様々なアーティストをプロデュース。
株式会社ジオセンスの小林一英氏よりC言語、村上アーカイブスの村上浩治氏より、写真と映像を学ぶ。
2023年からヒーリング音響を研究するCuranz Soundsを立ち上げる。
世界中に愛と調和の周波数を届けるため、癒しの音をCuranz Soundsにて発信中。

キリスト教誕生の背景

キリスト教という概念そのものがそもそもユダヤ教の分派宗教なわけです。

ましてや、キリスト教というのはイエスキリストを三位一体の神として信仰しているわけですが、新約聖書などもイエスは一切ノータッチであり、キリスト教を開祖したのは、当時イエスを迫害していたユダヤ教のファリサイ派のユダヤ人パウロでした。

このパウロという人物はイエスに一度も会ったこともなければ、当時の十二使徒を逮捕するために動いていた人物であり、そのあたりの背景をしっかり理解しながら聖書を読み込む必要があります。

宗教文化の研究家としては、このキリスト教に入るときに誓約させられる「罪人である」という宣誓、これはあまりよくありません。

このマーケティング手法は当時のユダヤ教徒を説得させるためのフレーズであり、パウロが勝手に決めたこと。

イエスはこんなこと一言も言っていませんし、あれだけ愛を説いた人物が、「あなたは生まれながらにして罪人であり、俺がその罪をかぶってやったんだ」というはずがないですよね。

これは自己肯定感が結構下がるのでキリスト教に入る時はこの辺りは特によく注意してください。

という背景があるわけなので、そもそもユダヤ教とはなにか?を知る必要があります。

ユダヤ教の神は「ヤハウェ」(YHWH)と呼ばれる唯一神です。

正確に言えば、ヤハウェ(Yahweh)はエロヒム(Elohim)の一つの名前です。

旧約聖書において、神を表す言葉として「ヤハウェ」や「エロヒム」という用語が使われますが、これらは同じ神を指すものです。

「エロヒム」は、ヘブライ語で「神」を意味し、旧約聖書ではしばしば神の属性や偉大さを強調する際に用いられます。

一方、「ヤハウェ」は、モーセが神から自己紹介を受けた際に使われたとされる、神の個人的な名前または称号です。

これはしばしば「主」と翻訳され、神の親密な関係を示すものとされます。

ただし、これには歴史的にみるともっと深い使い分けと理由がありますので詳しくはこちらの記事にて。

準備中

ヤハウェは創造主であり、全能の神であり、イスラエルの民と特別な契約を結んだ神とされています。

このためユダヤ教は選民思想といい、神様と契約した特別な人種がユダヤ人であるという認識を持っているわけです。

であるならば、キリスト教の神様は誰なのか?

イエス様であるという誤解をしている方も多いですが、現在のキリスト教の概念では、三位一体神という理解が正確です。

キリスト教とユダヤ教の神の関係
概念 ユダヤ教 キリスト教
神の名前 ヤハウェ(YHWH) 父と呼ぶ
神の構造 単一の神 三位一体(父、子、聖霊)
子なる神 存在しない イエス・キリスト
聖霊 存在するが明確な教義は少ない 三位一体の一つ
神との関係 契約の民としての関係 信仰を通じた父子関係
祈りの形式 シェマの祈りなど 主の祈り(Our Father)など

イエスは弟子たちに「天にまします我らの父よ」と、父に向けて祈りを届けようとしているわけです。

祈りの締めくくりは「父と子と聖霊の御名においてアーメン」アーメンは「そうなりますように」と訳すことができます。

ここが面白いところなのであります。

ユダヤ教の絶対神がすなわちイエスの呼ぶ父ではないんですね。

この世界の創造主・・・名前はなんでもいいはずですし、創造主から見たら名前などどーでもいいはずです。

それをあえてヤハウェとは呼ばずに父と呼ぶということは、明確にこの宇宙の創造主はヤハウェではないですよと明確に否定していることになります。

だって、イエスだって元々ユダヤ教(ユダヤの民の救世主)なんだから、ヤハウェが唯一神であれば、名前はヤハウェでいいはず。

天にまします我らのヤハウェよ・・・という祈りでいいはずです。

メシア観の違い

伝統的なユダヤ教の人々と、イエスがもめた根本原因がここにあるのではないか?と推測することができるわけですね。

イエスはわざわざ天にまします「父」と呼び、唯一絶対神であるヤハウェを否定するわけです。

それに加えてメシア、つまり救世主の価値観の違いが出てくるわけです。

イエスは自らをユダヤ教が待ち望んだ救世主であると宣言するわけですが、ユダヤ教が代々待ち望んでいた救世主像とは全く異なる存在がイエスでした。

ユダヤ教は「支配からの解放」を目的としているのに対し、実際にメシアであると名乗って現れたイエスは、愛の教えを説いています。

ユダヤ教とイエスの対立理由

ユダヤ教とイエスの対立理由

項目 ユダヤ教 イエスの教え 対立の理由
律法の解釈 律法(トーラー)を厳格に遵守。
613の戒律を重視。
律法の内面的な精神を重視。
外面的な形式主義を批判。
律法の柔軟な解釈が厳格な律法主義と衝突。
メシア観 政治的・軍事的リーダーとしてのメシアを期待。
ローマ支配からの解放を求める。
平和と愛を説き、神の国の到来を主張。
政治的な解放ではなく、精神的救済を重視。
メシア像の違いが宗教指導者たちの期待と大きく異なる。
権威と危機感 宗教指導者たちの権威を重視。
ローマ当局との関係を維持。
宗教指導者や神殿を批判。
大衆の支持を集める。
イエスの影響力が宗教指導者の権威を脅かし、
ローマ当局からの制裁を恐れる。

実はイエスが誕生するよりも前から、「そろそろメシアが誕生するぞ」とユダヤ教の中でも予言のような形で流行っていたのもあり、完全に否定することはできないが、イメージの違いで認めることもできない・・・というようなユダヤ教徒がたくさんいたりして、対立してしまうというわけです。

キリスト教はイエスが作ったわけではない

イエス・キリスト(Jesus Christ)は紀元前4年頃、ガリラヤのナザレで生まれました。

彼の生涯と教えそのものは、後に福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)に記録されています。

イエスはおもに神の愛と赦し、隣人愛を説き、ユダヤ教の律法を内面化することを重視しました。

イエスは病気を治すなど、多くの奇跡を行い、弟子たちと共にユダヤ地方を巡り教えを広めました。

しかし、彼の教えと活動は先述したような理由からやはりローマ当局および一部のユダヤ教指導者たちの反発を招き、最終的には反逆罪で逮捕。

紀元30年頃に十字架にかけられ処刑されました。

ここまでは有名な話であると思います。

イエスの死後、弟子たち(使徒)はその経験を基に「キリスト教」運動が始まりました。

つまり、イエスがユダヤ地方を巡り歩いていた頃はキリスト教という組織概念はなかったんですね。

死後確立したのがキリスト教であるというわけです。

ものすごくざっくりいうと、キリスト教の開祖はイエスではなく、初期は十二使徒の中の、ペテロやヤコブ(イエスの兄弟)が、エルサレムにおいて初期のキリスト教共同体を形成しました。

これは使徒行伝に詳しく記されています(使徒行伝1:12-14)。

その後回心したパウロ(イエスを迫害していたユダヤ人)はペテロやヤコブが組織したキリスト教に入り、大規模な伝道者となったということであるわけですね。

ちなみに有名な十二使徒を一覧でメモしておきましょう。

使徒の名前 説明
ペテロ(シモン・ペテロ) イエスの最も近しい弟子、初期教会の指導者
アンデレ ペテロの兄弟、元漁師
ヤコブ(ゼベダイの子) ヨハネの兄弟、「雷の子」
ヨハネ ヤコブの弟、最も愛された弟子
フィリポ ガリラヤ出身、バルトロマイを紹介
バルトロマイ(ナタナエル) フィリポに紹介されて弟子に
トマス 「疑いのトマス」、復活を疑った
マタイ(レビ) 元税吏、『マタイの福音書』の著者
ヤコブ(アルファイの子) 「小ヤコブ」、他のヤコブと区別
タダイ(ユダ・タダイ) 他のユダと区別される
シモン(熱心党のシモン) ゼロテ党(熱心党)の一員
ユダ・イスカリオテ イエスを裏切った、後に自殺
マッティア(マティアス) ユダ・イスカリオテの後任
イエスの死後に使徒として任命された人々

イエスの死後に使徒として任命された人々

復活した霊体のイエスが任命した使徒

名前 説明
パウロ ダマスコ途上でイエスの幻を見て回心し、異邦人への伝道に大きな役割を果たした。

教会が指定した使徒

名前 説明
マッティア(マティアス) ユダ・イスカリオテの後任として使徒に選ばれた(使徒行伝1:26)。
バルナバ 初期のキリスト教伝道者であり、アンティオキア教会から使徒として認められた(使徒行伝13:2-3)。

マティアスはイエスと共に旅をした人物ですが、ユダの裏切りにより、十二使徒の空席を埋める必要があったため、イエスの死後に教会から使徒として任命されました。

そのため、使徒全体の中は13名となっています。

使徒パウロの役割と愛のフレーズ

初期のキリスト教の広がりには、パウロ(元はキリスト教迫害者だった)が重要な役割を果たしました。

パウロについては、キリスト式の結婚式を挙げたカップルであれば一度は聞いたことがあるかもしれません。

結婚式の定番フレーズとしては、新約聖書 コリント前書第13章。

『愛は寛容にして慈悲あり、愛は妬まず、愛は誇らず、高ぶらず、非礼を行わず、己の利を求めず、憤らず、人の悪を思わず、不義を喜ばずして、真理の喜ぶところを喜び、おおよそ事信じ、おおよそ事望み、おおよそ事耐ふるなり。
愛はいつでも絶ゆることなし。』

コリント前書は、使徒パウロによって書かれた書簡の一部で、特に第13章は愛の章として広く知られています。

コリントの教会に宛てた書簡です。

当時コリント教会は様々な問題(教義の対立、倫理的問題、集会での混乱など)を抱えていました。

パウロはこれらの問題に対処するために、この書簡を書いたと伝えられています。

パウロは異邦人への伝道を積極的に行っており、キリスト教を地中海世界全体に広げました。

彼の書簡は新約聖書の一部として後にまとめられ、キリスト教神学の基礎を築いています。

紀元313年、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世がミラノ勅令を発し、キリスト教を公認宗教としたことで急速に普及しました。

さらに、325年のニカイア公会議で教義の統一が図られ、キリスト教はローマ帝国の主要な宗教となりました。

ローマ帝国で公認されたことが、西洋でキリスト教が発展していった理由というわけですね。

いやいや、ちょっと待てよ・・・

パウロはイエスを迫害していた人物です。

なぜそのパウロがキリスト教を広めることになったのでしょうか。

それは、イエスからの霊言を受けたからという説が濃厚になっているわけです。

使徒パウロ(Paul)は、直接イエス・キリストから教えを受けたわけではありません。

しかし、彼は自らの経験と霊的啓示を通じて、イエス・キリストの教えを理解し、伝えました。

パウロの経歴と使徒職

ここで、パウロの経歴、そして初期のキリスト教の開祖となった経緯についてみていきましょう。

  • パウロはもともとはサウロ(Saul)という名前で、ユダヤ教のファリサイ派の一員でした。彼はキリスト教徒の迫害者として知られていました。
  • ダマスコに向かう途中で、キリストの幻視を経験し、キリストの使徒としての召命を受けたとされています。この体験により、サウロはパウロに改名し、キリスト教徒の伝道者となりました。
  • パウロは自らの経験や神からの啓示を通じて、キリストの教えを解釈し、キリスト教の教理を伝える使徒として活動しました。

キリスト教のはじまり

  • パウロは、イエスの復活後にイエスキリストによって選ばれた使徒として自己紹介しています(1コリント9:1、ガラテヤ1:1)。
  • 彼は自らの教えがイエス・キリストからの啓示に基づいていると主張しています。彼は自らを「キリストからの使徒」とし、イエスからの啓示を受けたことを述べています(ガラテヤ1:11-12)。
  • パウロの手紙や伝道行為は、イエスの教えや復活の意味を解釈し、キリスト教の教理を強調したものです。

ここまで見てきてキリスト教誕生の経緯というのがはっきりわかったと思います。

おそらく、「スピリチュアル的なことを全く信じられない!」「科学のみがすべてである!」という信仰をお持ちの方からすれば、影響力と人気のすごかったイエスが死んだので、これは、儲かる!と思ってストーリーを描いたと考えるのが自然ですし、スピリチュアル的なことを信じている方は、イエスが復活(霊体として)して霊界からキリスト教を作ったという考えが自然でしょう。

巨大分派の歴史

ここからが面白い。

初期のキリスト教はイエスと実際に交流のあった物たちで組織され、復活(霊体として)したイエスから使徒と任命されたパウロの伝道で巨大化していきました。

では、カトリックとプロテスタントの違いについて、はっきり解説できます!という方がどれほどいらっしゃるでしょうか。

もちろんキリスト教の信者であればだれでも答えられるはずですが、冒頭で書いた文化庁の調べによると、即答で答えられる人は日本には190万人(1%)しかいません。

歴史の教養として、ここからはカトリックとプロテスタントの違いをまずは把握しておきましょう。

カトリックとプロテスタントの違い

カトリックとプロテスタントの違い
項目 カトリック プロテスタント
教義の権威 教会の伝統と聖書を同等に重視。教皇が最高権威。 聖書のみを信仰と実践の基準(ソラ・スクリプトゥラ)。
聖礼典(サクラメント) 7つの聖礼典(洗礼、聖体、堅信、告解、婚姻、叙階、終油)を重視。 洗礼と聖餐の2つの聖礼典のみ。
信仰と救済 信仰と行いが共に重要。良い行いが救済に寄与。 信仰のみが救済の鍵(ソラ・フィデ)。行いは信仰の結果。
礼拝の形態 厳格な儀式と典礼、特にミサが重要。 シンプルで自由な形式の礼拝。聖書の読み聞かせと説教が中心。
聖職者の役割 聖職者は独身制。教会の儀式や運営に重要な役割。 聖職者の独身制はなく、信徒が平等に役割を果たすことを重視。
マリア崇拝 聖母マリアの崇拝が重要。マリアへの祈りが行われる。 マリア崇拝は行わない。イエス・キリストへの直接の信仰を重視。
聖人崇拝 聖人への祈りや崇拝が行われる。 聖人崇拝は行わない。すべての信者が聖人と見なされる。
教会の統治 教皇を頂点とする階層的な教会統治。 各教会が独立した自治を持つ。教会の統治は分権的。

かなりざっくりまとめるとこのような違いがあります。

この記事では分派の歴史を見ていくわけなので、ここから分派の歴史を紐解いていきましょう。

シンプルな疑問として最初期のキリスト教はカトリックかプロテスタントのどちらか?

というところにあるかと思います。

実はペテロとヤコブが組織した初期のキリスト教団は、カトリックでもプロテスタントでもありません。

初期のキリスト教団は、現代のカトリックやプロテスタントの区分が生まれる前のものであり、単に「キリスト教」として存在していました。

初期のキリスト教団は、主にユダヤ教の枠組みの中で活動し、イエスをメシア(救い主)として信じるユダヤ教の一派として始まりました。

カトリック教会は、4世紀のコンスタンティヌス帝のキリスト教公認後、カトリック教会が徐々に組織化され、5世紀にはローマ教皇を中心とする教会体制が確立しました。

プロテスタント教会は16世紀の宗教改革(1517年にマルティン・ルターが「95カ条の論題」を発表)により、カトリック教会から分離して誕生しました。

プロテスタント教会は、聖書のみに基づく信仰(ソラ・スクリプトゥラ)を強調します。

ここだけみてもいかにキリスト教が巨大な分派の歴史を持っているかがわかります。

変容の元となったのは、カトリックとして意識してもいいのかもしれません。

そうなると、そもそも宗教とはなにか?

という視点から考察していく必要がありますが、ここでは分派の歴史に焦点を当てているので、分派を進めていきましょう。

分派史年表

  1. 初期教会
    • イエス・キリストの死後、使徒たちによりキリスト教が広がる。
    • 1世紀から2世紀にかけて、初期教会は様々な教義と解釈の違いが見られる。
  2. 大分裂(1054年)
    • キリスト教が東西に分裂。東方正教会(Eastern Orthodox Church)とローマ・カトリック教会(Roman Catholic Church)に分かれる。
  3. 宗教改革(1517年以降)
    • マルティン・ルター、ジャン・カルヴァン、フルドリッヒ・ツヴィングリなどがカトリック教会に対して改革を主張。
    • プロテスタント教会が形成される。
  4. プロテスタントの分派
    • プロテスタント内部でも様々な分派が生まれる。ルター派、改革派(カルヴィニズム)、アングリカン、メソジスト、バプテストなど。

この東西大分裂についてもう少し深掘りしていきましょう。

東西教会の分裂の背景と原因

1. 文化的・政治的要因

  • 東西ローマ帝国の分裂:395年、ローマ帝国は東西に分裂。
    西ローマ帝国は476年に滅びましたが、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は千年以上存続しました。
    この分裂により、東西のキリスト教会はそれぞれ異なる政治的・文化的環境に置かれることとなりました。
  • 言語の違い:西方教会はラテン語を、東方教会はギリシャ語を使用しました。
    この言語の違いがコミュニケーションの障害となり、神学的な議論や教義の解釈においても対立を引き起こしました。

2. 神学的・教義的対立

  • フィリオクェ問題:西方教会は「フィリオクェ(filioque)」句をニカイア・コンスタンティノポリス信条に追加しました。
    これは「聖霊が父から出る」とするところを「聖霊が父と子から出る」と変更するものです。
    東方教会はこれを受け入れず、この変更が教義的な対立の一因となりました。
  • 教会の首位権:西方教会(ローマ・カトリック教会)はローマ教皇の首位権を主張しました。
    一方、東方教会(東方正教会)はコンスタンティノポリス総主教を含む複数の総主教が対等の地位にあるとしました。
    この首位権の問題は権力闘争を引き起こしました。

3. 宗教儀式と慣習の違い

  • 祭儀と礼拝の形式:東西の教会は礼拝の形式や祭儀の実施方法について異なる伝統を持ちました。
    例えば、パンの発酵に関する違い(西方教会は無発酵パンを、東方教会は発酵パンを使用)や、礼拝中の特定の儀式の実施方法などがあります。

4. 具体的な事件

  • 1054年の相互破門:分裂の決定的な事件は、1054年に起こりました。この年、ローマ教皇レオ9世の使節団がコンスタンティノポリスに赴き、東方教会の総主教ミカエル1世ケルラリオスを破門しました。
    これに対抗して、ミカエル1世もローマ教皇の使節団を破門しました。この相互破門により、東西教会は正式に分裂しました。

分裂後の特徴

ローマ・カトリック教会(西方教会)

  • 教皇の首位権:ローマ教皇がキリスト教世界の最高権威とされ、教会の教義や規範を統制しました。
  • ラテン語の使用:ラテン語が教会の公式言語とされ、典礼や教義の文書はすべてラテン語で記述されました。
  • 中央集権的な教会運営:ローマ教皇のもとに一元的な教会運営が行われました。

東方正教会(東方教会)

  • 総主教の協議制:コンスタンティノポリス、アレクサンドリア、アンティオキア、エルサレムなどの総主教が協議しながら教会を運営しました。
  • ギリシャ語の使用:ギリシャ語が主に使用され、地域の言語にも適応しやすい体制が取られました。
  • 地方自治的な教会運営:各教会が独自の自治権を持ち、中央集権化はされていませんでした。

このように東西教会の分裂は、文化的・政治的、神学的、そして具体的な事件の積み重ねによって引き起こされたものになります。

この分裂により、キリスト教はローマ・カトリック教会と東方正教会という二つの主要な流派に分かれ、それぞれ独自の伝統と教義を発展させました。

細分化された分派史

カトリックとプロテスタント、そして東西の分裂。

巨大な分解はこれくらいですが、実はさらに細分化された分派、思想や主義の派閥というものは多々あります。

筆者が調べた範囲内でメモしておきます。

1世紀

  • イエスの死(30-33年)
    • キリスト教の起源。イエスの使徒たちが教えを広める。
  • ユダヤ教キリスト教徒(1世紀中期)
    • 最初のキリスト教徒はユダヤ教の背景を持つ。律法を守りながらイエスをメシアと認識。
  • パウロの宣教活動(40-60年)
    • パウロが異邦人(非ユダヤ人)にキリスト教を広める。ユダヤ教の律法からの解放を主張。
  • エビオン派(1世紀後半)
    • ユダヤ教キリスト教徒の一派。イエスを預言者とし、律法の遵守を強調。

2世紀

1世紀まではやはりそこまで大きな分裂や派閥はありませんでしたが、さすがに100年も経つといろいろ出てきます。

  • グノーシス主義(1-2世紀)
    • 神秘的な知識(グノーシス)を強調する異端運動。ナグ・ハマディ文書に記録されている。
  • マルキオン派(2世紀中期)
    • マルキオンによって創始。旧約聖書の神と新約聖書の神を別物とする二元論的教義。
  • モンタノ派(2世紀後期)
    • フリュギアのモンタノスによって創始。新しい預言と厳格な道徳生活を強調。
  • オルタドキシー(正統派)の形成
    • 異端との対立を通じて、正統派(オルタドキシー)の教義と教会制度が確立される。

3世紀

  • サベリウス主義(3世紀初頭)
    • サベリウスが唱えた神の三位一体を否定する教義。神の単一性を強調するモナーク主義。
  • ノヴァティアヌス派(3世紀中期)
    • ノヴァティアヌスによって創始。迫害時に信仰を放棄した者の再受容を拒否。

サベリウス主義では、イエス・キリストは神が人間の姿を取って現れたという考え方がベースになっています。

この立場は、三位一体の教義とは対立するものであり、特にキリスト教の初期には論争の的となりました。

キリスト教の正統派は、三位一体の信仰を主張し、父、子、聖霊が同じ本質でありながらも異なる位格であると考えます。

4世紀

  • アリウス主義(4世紀初頭)
    • アリウスによって唱えられた教義。イエスは神に従属する被造物とする。
  • ニカイア公会議(325年)
    • 正統派がアリウス主義を異端と宣言し、ニカイア信条を確立。
  • ドナトゥス派(4世紀)
    • ドナトゥスによって創始。純粋な教会と聖職者の厳格な基準を主張。

5世紀

  • ネストリウス主義(431年)
    • ネストリウスの教義。キリストの人性と神性を分離して考える。エフェソス公会議で異端とされる。
  • カルケドン公会議(451年)
    • キリストの二重性(人性と神性)を確認するカルケドン信条を採択。

6-7世紀

  • モノフィサイト(単性論)
    • キリストに一つの神性が存在するとする教義。カルケドン信条に反対する教派。
  • モノテリスム(7世紀)
    • キリストの神性と人性は一つの意志を持つとする教義。コンスタンティノポリス公会議で異端とされる。

中世(8-15世紀)

  • 東西教会の分裂(1054年)
    • ローマ・カトリック教会と東方正教会が正式に分裂(大シスマ)。
  • カタリ派(12-13世紀)
    • 南フランスを中心に広がる二元論的教義を持つ異端。アルビジョア十字軍で弾圧。
  • ワルド派(12世紀)
    • ピエール・ワルドによって創始。貧困と禁欲を強調。異端とされる。

16世紀以降

  • プロテスタント宗教改革(1517年以降)
    • マルティン・ルターの「95カ条の論題」から始まる。カトリック教会から分派し、多くの新教派が生まれる(ルター派、カルヴィニズム、アングリカンなど)。
  • トリエント公会議(1545-1563年)
    • カトリック教会がプロテスタントに対抗し、教義を再確認・再定義。

細分化されたものまでみるとかなりの数の主義思想があるように思います。

ここまでキリスト教の誕生から分派の歴史まで見てきました。

みなさんの知識欲は満たされたでしょうか?

西洋の歴史、そして戦争の歴史は必ずと言っていいほど宗教が絡んできます。

それは簡単にいうと、神様の取り合いです。

イエスが説いた究極の教えが愛であるならば、世界を愛と調和の空間へ導くのがキリスト教の本流である・・・

もっともっとシンプルなことなのかもしれません。

人に何かを伝える時もです。

イエスが教えたのは、「信じなさい、求めなさい、愛しなさい」実はこれだけだったのかもしれませんね。

キリスト教系の新興宗教一覧

キリスト教の分派の歴史を見ると、様々な解釈や分裂を繰り返しており、オリジナルがどこかは非常に難しくなっているかと思います。

聖書自体はもちろんロイヤリティーフリー作品になっているわけですから、使うのは自由となるわけです。

ここからは、キリスト教系の分派ではなく、キリスト教を使った新興宗教について見ていきましょう。

  1. モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)
    • 創立者:ジョセフ・スミス
    • 創立年:1830年
    • 特徴:『モルモン書』という聖典を持ち、神殿の儀式や使徒制度を特徴とします。アメリカ合衆国ユタ州に本部があります。
  2. エホバの証人
    • 創立者:チャールズ・テイズ・ラッセル
    • 創立年:1870年代
    • 特徴:聖書を独自に解釈し、「ものみの塔」の出版を通じて教義を広めます。クリスマスや誕生日の祝いを行わず、輸血を拒否します。
  3. セブンスデー・アドベンチスト教会
    • 創立者:エレン・G・ホワイトら
    • 創立年:1863年
    • 特徴:土曜日(安息日)の遵守、健康メッセージ、イエスの再臨への強調があります。
  4. クリスチャン・サイエンス(キリスト教科学)
    • 創立者:メアリー・ベーカー・エディ
    • 創立年:1879年
    • 特徴:病気や困難は心の問題であり、祈りと信仰によって克服できると教えます。
  5. 統一教会(世界平和統一家庭連合)
    • 創立者:文鮮明
    • 創立年:1954年
    • 特徴:原理運動として知られ、家庭の重要性と「真の父母」という概念を強調します。大規模な合同結婚式が特徴です。
  6. サイエントロジー
    • 創立者:L.ロン・ハバード
    • 創立年:1953年
    • 特徴:精神的な浄化を目指し、科学と宗教の融合を主張します。特にオーディティングという精神療法を行います。
  7. ファラオンズ(新天地イエス教会)
    • 創立者:李萬煕(イ・マンヒ)
    • 創立年:1984年
    • 特徴:聖書の預言を独自に解釈し、イエスの再臨と救済を強調します。韓国を中心に急成長しています。

結論

キリスト教の分派や新興宗教は非常に多く、上記はその中でも知名度が高く、影響力の大きいものです。

これらの新興宗教は、それぞれ独自の教義や儀式を持ち、伝統的なキリスト教から独自の解釈や実践を展開しています。

キリスト教の歴史は、常に新しい解釈や運動の登場によって進化し続けてきました。

これからもたくさんの新興宗教は誕生しては消えていき、、、を繰り返していくことでしょう。

カルト系宗教と洗脳に注意

キリストから派生するカルトはかなり多いです。

カルトの定義は反セクト法を確認したりしながら社会との付き合いをしっかりとバランスとってくださいね。

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