オーストラリアの大地に古くから根付く、デジュリドゥという不思議な楽器があります。
この縦長い管状の楽器は、オーストラリア先住民によって長年にわたり大切に守られてきた伝統文化の一部です。
デジュリドゥの奏でる独特の音色は、単なる音楽を超えて、精神的な癒しと浄化の力を秘めているとされています。
本記事では、デジュリドゥの起源と歴史、製作方法、音響的特性、そして瞑想やヒーリングへの役割について詳しく解説していきます。
オーストラリアの伝統文化を知る、また音楽を知る、そしてフラワーエッセンスなどの多くのヒーリングが眠る国を理解することで、人生の癒しへと繋げていただければ幸いです。
Contents
デジュリドゥの起源と歴史
デジュリドゥは、オーストラリア先住民の伝統楽器の中でも最も代表的な存在です。
その起源は40,000年以上前にまでさかのぼると言われ、世界で最も古い吹奏楽器の一つと考えられています。
4万年以上前というと、氷河期であり、マンモスが生息していたような時代です。
あのアトランティスが現在の暦で言うと、紀元前11,600年頃となっていますので、その歴史の深さに圧倒されますね。
1949年に、クインズランド州ウーンバ地区の洞窟で、約19,000年前の木製デジュリドゥが発掘されています。
この発見は、人類がアフリカから南下してオーストラリア大陸に定住した頃から、すでにこの楽器があったことを示す確かな証拠となりました。
デジュリドゥはそれほど長きにわたり、オーストラリア先住民の精神文化の中核を成してきた楽器となっているわけです。
各部族がデジュリドゥを自らの文化の象徴と捉え、独自の形状や彫刻による装飾を施すことで、部族間での多様性も生まれました。
しかし同時に、精神性や歴史的重みといった本質的な部分では、先住民社会全体でデジュリドゥが畏敬の念を持って尊重される一体性もありました。
ヨーロッパ人到来以前から、デジュリドゥは単なる娯楽の道具ではなく、豊穣の祈り、通過儀礼、病人の治療など、さまざまな重要な儀式や場面で欠かせない役割を担ってきました。
そんな魅力的な楽器をもう少し深く考察していきましょう。
デジュリドゥの製作方法
デジュリドゥの基本的な構造は、木の幹をくり抜いて作られたホロウの管状になっています。
素材となる木の種類は、ユーカリの樹種が最も一般的ですが、場所によってはマンギツやその他の樹種が使われることもあります。
管の長さは通常1〜3mの範囲です。
ヨーロッパ人到来以前は、先住民が完全に手作業で石器を使ってデジュリドゥを製作していました。
しかし、現代に入ってからは電動工具の導入などによって、製作方法に変化が生じつつあります。
デジュリドゥの形状には部族ごとの違いがあり、ヤーンガーの部族は細長い形状を好む一方で、アーネムランド地方の部族はくびれのある形状を特徴としています。
マラ族は材料としてユーカリに代えてマンギツ材を使用することが多いのが特徴です。
装飾については、部族の芸術的価値観を色濃く反映しています。
単に機能的な道具として作るのではなく、精神性や博物学的価値の高い作品として、細かな線画や同心円状の彫刻が施されるのが一般的でした。
こうした伝統技法の継承が、近年のオーストラリア先住民コミュニティで重要な課題となっています。
過去数十年間に起きたユーロッパ文化の影響を受けて、デジュリドゥ製作の方法は変容しつつありますが、伝統工芸の保護と次世代への技術指導が精力的に行われています。
音響的特性とその魅力
デジュリドゥの最大の魅力は、その独特で不思議な音色にあります。
この特徴的な音は、奏者の唇による振動とそれに伴う空気圧の変化によってつくり出されます。
まずは聞いてみましょう。
Youtubeの動画からシェアさせていただきます。
こちらはかなりモダンな演奏スタイルになります。
奏者が管内に強く吹き込むと、唇の振動が管内の空気振動を励起します。
そこで発生した低い基音を起点に、次々と高次の倍音が生成され重なり合うのです。
このように倍音が複雑に重なり合うことで、ハーモニクス(自然に生まれる高次の整数倍の音)とオーバートーン(整数ではない非調和成分の倍音)が交互に発生し、合成された結果がデジュリドゥ独特の「鳴り」となるのです。
この「鳴り」は、リズムや旋律を奏でるだけでなく、静寂の中でハーモニクスを楽しむ奏法も存在します。
また、デジュリドゥには20Hz前後の低周波数が卓越しており、その振動が遠方にまで伝わる特性があります。
オーストラリアの広大な砂漠地帯では、デジュリドゥの低周波が50kmも先まで到達したと言われています。
この特性が、かつては部族間のコミュニケーションの手段としても活用されていた可能性があります。
ヒーリングとしてのデジュリドゥ
デジュリドゥは音楽を超えた、精神的・医療的な役割を担ってきました。
先住民社会では、呪術師や医療の専門家がデジュリドゥを奏でて、病人の浄化や治療を行っていました。
その音の振動が、体の不調和を整え、穏やかな気分転換を促す効果があると考えられていたのです。
とりわけ低周波数の強い振動は、聴く者を深い瞑想状態や精神世界へと誘います。
現代の脳科学でも、デジュリドゥの音を聴くことで脳波がアルファ波に移行し、トランス様の精神状態に入ることが明らかになっています。
この作用は、集中力や創造性の向上、ストレス解消など、様々な効果をもたらすと期待されています。
こうした伝統的な音楽療法の考え方は、近年の科学的根拠によっても実証されつつあります。
音の振動が身体や精神に作用するメカニズムが解明されるにつれ、デジュリドゥはただの楽器を超えた、音楽療法や統合医療の有力な道具として注目を集めるようになってきました。
すでに病院や介護施設の一部で、デジュリドゥを活用した音楽療法が取り入れられ始めています。
また、心身の癒やしを目的とした瞑想プログラムやヒーリングワークショップなども、世界各地で増加の一途をたどっています。
デジュリドゥと自然の共鳴
デジュリドゥと密接に関わる自然環境も、オーストラリア先住民の精神文化に深く組み込まれています。
この樹皮で作られた楽器は、豊かな自然の恵みの賜物でもあり、人と自然の調和を象徴するものでした。
奏者たちはデジュリドゥを通して、大地の音や樹木の音、動物の鳴き声など、あらゆる自然の音に敏感になるよう心がけてきました。
自然の音とデジュリドゥの音が重なり合い、共鳴し合うことで、人は自然の一部となり、宇宙の調べに溶け込むのだと考えられていました。
実際に、オーストラリアの太古の岩山の間には、デジュリドゥの音が反響するよう自然に作られた空間が多数存在しています。
日の出や日没時、岩肌に浮き上がる光と影がデジュリドゥの音色と調和するこのような場所は、先住民が「儀式の地」と呼び、大切に守ってきました。
自然との対話を大切にし、宇宙の調べに溶け込むことで、人は完全な精神の浄化に至れると信じられていたのです。
デジュリドゥはそうした精神性の象徴であり、奏者を自然と一体化させる役割を担っていました。
デジュリドゥの演奏方法を学ぶ
ここからはデジュリドゥの演奏方法を紹介します。
音楽家の方であればこの文章のみで演奏することができるでしょう。
デジュリドゥは管状の楽器ですが、その演奏方法は一般的な吹奏楽器とはかなり異なります。奏者はデジュリドゥを垂直に構え、上部の開口部に向かって斜め上方から息を吹き込みます。
■基本的な構え方
- 楽器を垂直に立て、下部を足の間に置く
- 上半身を僅かに前に傾け、楽器の開口部に向かって吹く
- 唇を引き緊め、バズを立てるように吹き込む
- バズの強さで音程のコントロールを行う
金管楽器を演奏したことがあると馴染み深いかと思いますが、バージングという唇を震わせて演奏します。
トレーニング方法としては、唇のみでしっかり音階を演奏できるようにしなければいけません。
唇のテンションで音程を調整しますが、常に唇が震えている状態です。
■呼吸法と奏法
- 吸気は鼻から、呼気は口から行う呼吸の使い分けが重要
- 吸気する際は腹式呼吸で、できるだけ長く呼吸を止める
- 一気に吹き込むのではなく、脈動を付けながら段階的に吹き込む
- バズの強さで音程を上下させ、倍音の調整を行う
腹式呼吸に関しては一般的には仰向けに寝ながら行うことでフォームを確認することができます。
初心者の方は、お腹をふくらますことに意識を向けて呼吸してみてください。
これをしっかりマスターすると、腹式と肺呼吸を使い分け、腹式のあとに肺に入っているブレスを吐き出すことができるようになります。
これを組み合わせて循環呼吸という方法をマスターすることができます。
■倍音の生成とコントロール
- デジュリドゥの基本音から、次々に高次の倍音が生成される
- 奏者の唇の締め具合や吹き方でこの倍音をコントロールする
- ハーモニクスとオーバートーンの微妙な使い分けが重要
- 循環式呼吸法を使うことで、長時間の演奏が可能になります
演奏の基本は、バズの強弱と唇の動きでコントロールされる倍音を活用することにあります。
高度な技術を要する奏法ですが、トランス状態へと誘う独特の音色を生み出す鍵でもあります。
また近年では、現代的なテクニックを取り入れる試みもあります。
マウスピースの使用によるキャッチトーンや、楽器を回転させるスェリングなど、新しい表現の可能性が模索されつつあります。
デジュリドゥの基本音(周波数について)
デジュリドゥの基本音の周波数については、楽器の長さや奏者の吹き方によって変わりますが、概ね以下の範囲になります。
・一般的なデジュリドゥの基本音: 約60Hz〜120Hz前後
この周波数範囲は低音域に当たり、デジュリドゥ特有の低くゆったりとした重み感のある唸り声のような基音を生み出します。
より具体的な例を挙げると:
・長さ2mのデジュリドゥの基本音: 約70Hz前後
・長さ1.5mのデジュリドゥの基本音: 約90Hz前後
・長さ1mのデジュリドゥの基本音: 約110Hz前後
このように、デジュリドゥが長ければ長いほど、基本音の周波数は低くなる傾向にあります。
一般に1m以上の長さのものが、伝統的な演奏に使用されてきました。
また、奏者の吹き方の違いでも基本音は変わってきます。
強く吹けば倍音が強調されて高くなり、ゆるやかに吹けば基本音が強調されて低くなるといった具合です。
低音域の強い振動とその独特の重みは、デジュリドゥ音響の最大の特徴です。この20Hz〜200Hzの範囲の基本音と倍音が複雑に重なり合うことで、デジュリドゥの魅力的で神秘的な音色が生まれているのです。
腹式呼吸と循環呼吸のトレーニング
デジュリドゥの演奏には、呼吸法の訓練が非常に重要になります。
腹式呼吸と循環呼吸をマスターすることが何より求められます。
■腹式呼吸のトレーニング
- 正座または椅子に深く腰かけ、背筋を伸ばす
- 鼻から深く呼吸をし、お腹を膨らませる
- 吸った息を7〜10秒程度止める
- 口から長くゆっくりと吐き出す
- 吐き終わったら軽く吸って周期を繰り返す
腹式呼吸は肺活量を大きくすることができ、デジュリドゥの低音を響かせるのに適しています。
最初は3セット行い、徐々にセット数を増やしていきましょう。
■循環呼吸のマスター
- 通常の腹式呼吸で、お腹に空気を溜める
- 一気に吐き出し切ったところで、すぐ鼻から次の呼吸を吸い込む
- 吐く際、喉頭を締めて空気が漏れないようにする
- お腹の空気が無くなる直前で、次の呼吸を吸い込む
- 呼吸の切れ目無く、ひとつなぎの吹き続けられるようになる
循環呼吸は長時間のフレーズを可能にし、デジュリドゥ演奏の要となります。
最初は1分程度の練習から始め、徐々に持続時間を伸ばしていきましょう。
いずれの呼吸法も、弛緩した状態で腹式に行うことが肝心です。
前傾姿勢で上半身の力を抜き、リズミカルに呼吸を行うことが大切になります。
呼吸とデジュリドゥの音程をリンクさせる訓練を続けることで、やがてトランス状態へと入れるようになるでしょう。
デジュリドゥ体験
この魅力的なデジュリドゥの音を、実際に聞いてみたくなったことでしょう。
オーストラリアへ渡れば、数多くの体験の機会に恵まれます。
北部テリトリー州のヨルング国立公園は、ユネスコの無形文化遺産にも登録されたヨルング族の伝統芸能が色濃く残る地域です。
公園内では、部族出身の奏者によるデジュリドゥのライブパフォーマンスを体験できます。
それ以外にも、デジュリドゥの奏法を学ぶワークショップが各地で開催されているほか、毎年恒例の先住民音楽のフェスティバルなども人気イベントとなっています。
音楽を通して先住民文化に触れながら、オーストラリアの大自然の雄大さを体感できるでしょう。
デジュリドゥは単なる楽器ではありません。
この楽器には、オーストラリア先住民の世界観や自然観が凝縮されており、それ自体が文化的所産なのです。
デジュリドゥを理解することは、オーストラリアという大陸に宿る精神性に触れることにもなります。
旅行を通してこの音楽文化に触れれば、新たな気づきや感動を得られるかもしれません。
デジュリドゥの多様性と地域性
オーストラリアは広大な国土を有しており、先住民の部族も多岐にわたります。
そのため、デジュリドゥの形状や装飾、奏法にも、部族や地域によってさまざまな違いが見られます。
■アーネムランド地方
- ヨルングディリ・デジュリドゥ(くびれ型)が代表的
- ダイヤモンド・パターンの彫刻が特徴的
- マンギツの木を素材に使用することも
■西オーストラリア州
- ナンバティ族のデジュリドゥは短く太い形状
- 簡素な装飾が多い
■中央オーストラリア
- アランダ族は細長い管を好む
- 同心円状の線画が彫刻されることが多い
■東部クインズランド
- オーストラリア最古の遺跡から出土した細長い形状
- ワニの皮の装飾がされることも
このように、デジュリドゥの地域性は顕著であり、奏者はそれぞれの部族の伝統を大切に守り続けています。
同じ楽器でも地域や部族によって、全く異なるデザインや奏法があるのが特徴です。
伝統芸能としての継承
オーストラリア先住民の伝統芸能は、長い年月の間、口承や実践を通して受け継がれてきました。しかし、ヨーロッパ人入植者の到来以降、強制的な同化政策などによって芸能が衰退する危機に曝されました。
近代化の波に翻弄されながらも、一部の部族では伝統を守り続ける努力が払われてきました。特に1970年代以降、先住民の権利回復運動が起きたことで、自らの文化の再興と継承が大きな課題となりました。
デジュリドゥの製作技術や奏法の伝承も、このような背景の下で見直され、部族を超えて技術指導が行われるようになってきました。また、学校教育の場でも伝統芸能の授業が取り入れられ、次世代への継承が図られつつあります。
しかし一方で、都市部に移住した若者の関心の低さや、森林伐採による素材入手の困難さなど、継承を阻む課題も多く残されています。民族の絶滅危機にさらされたこともある先住民の文化を守り、デジュリドゥの伝統を次世代に確実に引き継いでいくことが大きな使命となっているのです。
オーストラリアの歴史を紐解く
Curanz Soundsはヒーリング音響、音楽ブランドですので、歴史の話が後回しになっていました。
数万年の歴史を誇る楽器ですが、オーストラリアという国はどういう国なのか?
その歴史をざっくりですが、把握しておきましょう。
歴史を把握することで見えてくることはたくさんあるでしょう。
5万年以上昔
オーストラリア大陸で人類が生活を始めたのは、約5万年以上も前と考えられています。
当時から、細分化された部族社会がこの広大な土地に点在し、狩猟採集を中心とした生活様式を営んできました。
オーストラリア先住民は、自然と対話し調和することで精神性に富んだ生活を送っていました。
しかし、1788年にイギリスがシドニーに刑務所植民地を設立して以降、先住民社会は大きな衝撃を受けることになります。
1788年1月26日、イギリス艦隊がシドニー港に入り、オーストラリア大陸への本格的な植民地化が始まりました。
この「第一艦隊」を指揮したのが、当時の海軍艦長アーサー・フィリップです。
フィリップは英国王室の命を受け、シドニー湾に流刑植民地を設立する任務を帯びていました。
最初の入植者は船員や兵士、そして英国本土から送られた約800人の流刑囚からなる一団でした。
シドニー周辺の土地は、いくつかの先住民部族が活動の拠点としていた場所でした。
入植当初から先住民との対立は避けられませんでした。
土地の強奪、伝染病の蔓延、食料の乱獲など、先住民社会に深刻なダメージを与えつつ、イギリス人の植民地化は進められていきます。
1808年には、後に知事となるラチュラン・マックォーリーが上陸し、広大な農場経営を開始。
多くの先住民の土地が不当に奪われ、抵抗する者は虐殺の対象ともなりました。
1830年代以降、ヨーロッパ人入植者の数が増えるにつれ、植民地政府による「同化政策」が強力に推し進められるようになります。
この政策の下、先住民の子供は強制的に家族から引き離され、英語での教育を受けさせられました。
自らの文化や言語を否定させられ、西洋化を強要されたのです。
19世紀後半になると、同化政策が強力に推し進められるようになります。
政府は先住民の子供を連れ去り、伝統文化を否定する施設で西洋化教育を強要しました。
このような政策の下、先住民社会は文化的同化と伝統の継承断絶の危機に見舞われたのです。
一方で抵抗運動も起き、1960年代後半以降、先住民の権利回復運動が盛り上がりを見せます。
おかげで徐々に政府の同化政策は転換し、先住民の伝統文化や言語の尊重、土地返還なども法制化されていきました。
英国王室からの独立
1939年9月、第二次世界大戦が勃発すると、オーストラリアは英国に続いて翌1940年9月にドイツ、イタリアに宣戦布告を行います。
当時のオーストラリアは、名目上は英国王のもとにある自治領でしたが、実質的には英国の植民地統治下にありました。
戦時中、オーストラリア国内では英国の意向を優先した政策がとられ、人的・物的資源の英国への供給が優先されていました。
特に最初の数年間は、オーストラリアへの英国からの軍事支援は手薄く、国内の孤立無援の状況が危惧されていました。
1941年12月、日本によるハワイ真珠湾攻撃を契機に太平洋戦争が勃発すると、オーストラリアは本土防衛に全力を注がざるを得なくなります。
英国よりもアメリカとの連携が重視され始めたことで、オーストラリアの対英依存関係に変化が生じました。
戦後の1949年に主権回復を果たすまで、オーストラリアは英国王室の支配下にありました。
この経緯が、戦後のオーストラリア社会に大きな影響を与えることになります。
すなわち、英国文化からの脱却と、先住民の権利回復運動への機運が高まっていくのです。
戦争を通じてアメリカの影響力が強まったことも、オーストラリアの主権意識の高揚に拍車をかけました。
英国の植民地から自立を遂げ、多文化化への流れが本格化していくことになるのです。
こうした歴史的転機の只中に、オーストラリア先住民の伝統文化の復興が図られていくことになります。
チリのイースター島との繋がり
イースター島は現在チリ領に属していますが、環太平洋の島嶼部に位置しており、オーストラリア大陸からも比較的近い距離にあります。
一説によれば、オーストラリア先住民の一部が数千年前、素朴な航海術を駆使して太平洋を渡り、イースター島に到達した可能性が指摘されています。
ただし、これは歴史としての史実ではありませんので、しっかり区別してください。
オーストラリア先住民とイースター島の関連説
■言語と文化的相似性
- イースター島の言語ラパヌイ語には、オーストラリア先住民語ともいくつかの語源が共通していると指摘されている
- イースター島の彫刻や絵画に描かれた人物像が、オーストラリア先住民のものと酷似しているという報告も
■航海技術の可能性
- オーストラリア先住民は、木の幹を掘り抜いた素朴な舟でも長距離の航海が可能だった
- 季節風や海流を読み、星座を手掛かりに航海をしていた技術があったと考えられている
■DNAの類似性
- イースター島住民のDNAを分析したところ、オーストラリア先住民やメラネシア人種と近い繋がりがあることが判明
しかしながら、上記はあくまで一部の学説に過ぎず、確固たる証拠が乏しいことから、定説とはなっていません。
現在のイースター島住民の主な祖先は、より近年のポリネシア系移住民であると広く考えられています。
Islander NavigatorsやP.V. Kirch 等による研究では、イースター島においても昔から高度な航海術が発達しており、ラパ・ヌイ文化そのものが独自の文明を形成していたと説明されています。
つまり、オーストラリア先住民の一部がイースター島に渡った可能性は払拭できないものの、現在の学術的な主流の見解ではないということになります。
しかし、両者に見られる文化的相似性については、今後さらなる研究が期待されているといえるでしょう。
ちなみにポリネシア系とは、主に以下の島嶼地域の民族を指します。
・サモア諸島 ・トンガ諸島
・クック諸島 ・フィジー諸島 ・ハワイ諸島 ・マーシャル諸島 ・ツバル ・ソロモン諸島 ・バヌアツ
これらの島々に広がるポリネシア文化圏の人々が、ポリネシア系と総称されています。
まとめ
- デジュリドゥは4万年以上の歴史がある
- 古代では病気の治癒や神様の儀式で使われていた
- イギリスから支配され、文化の破壊を受けていた
先住民でいうと非常に長い歴史を持つオーストラリアは、自然の力というものと共存してきました。
例えばティーツリーオイルひとつとっても、後に科学的にその殺菌効果は昨今の科学を超越すると言われていたりしています。
他にもナチュラルなものを使った治療を行っていたり、オーストラリアに自生する植物は不思議なものが多いのが特徴です。
こういった古代の力を西洋の科学文明によって封じられてきた歴史を見ると、人類が科学の盲信によって失われた叡智の多さに驚かされます。
中米、南米含めてどれほどの大自然の叡智が破壊されてきたでしょうか。
デジュリドゥにしても、音響の神秘の力は必ず眠っているはずで、Curanz Soundsとしても必ず解明し、ヒーリング音響としてたくさんの方々に届けたいと思っています。
今後も研究や考察レポートをしていきますので、是非クランツ・サウンズのブックマークとチェックをお願いします。