誰かの何気ないひと言が、胸にチクリと刺さる。
言われた相手はもう忘れているかもしれないのに、自分の中だけでその言葉が何度も再生されて、じわじわと痛む。
そんな経験はありませんか。
同僚のちょっとした皮肉、家族の思ってもみないひとこと、友人の何気ない冗談。
たいしたことではないはずなのに、なぜか心から離れない。
くり返し思い出しては、そのたびに傷つく。
言葉のとげは、そうやって私たちのなかで確かに増殖していきます。
でも、ちょっと立ち止まって考えてみてください。
その言葉は、いったい誰のものなのでしょう。
その言葉は、誰のものか
二千五百年以上前、釈迦はこの問いにまっすぐな答えを出しています。
『相応部経典』の「アッコーサ経」に、こんな逸話が伝えられます。
ある日、怒りに燃えたバラモンが釈迦のもとを訪れ、激しい罵倒の言葉を浴びせました。
釈迦は穏やかにこう問いかけます。
「あなたは来客をもてなすとき、食べ物をふるまいますね。
もし相手がそれを受け取らなかったら、その食べ物は誰のものですか」
バラモンは答えました。
「誰のものでもない。
私のもとに戻ってくる」
すると釈迦は言います。
「それと同じです。
あなたが罵倒の言葉を浴びせても、私はそれを受け取りません。
だからそれは、あなたのものです。
あなたのもとに残るのです」
When you abuse, harass, and attack me, who does not abuse, harass, and attack, I don't accept your insults. They still belong to you.
出典: 『相応部経典』第7巻2経「アッコーサ経(Akkosa Sutta, SN 7.2)」Access to Insight, Buddhadāsa訳
この教えは、単なるきれいごとではありません。
私たちが誰かの言葉に傷つくとき、じつはその言葉を「受け取っている」のは自分なのです。
相手が放った言葉は、空中を飛んで消えていくただの音です。
それを受け取り、胸のなかで何度も再生し、意味をふくらませているのは、ほかならぬ自分自身。
そして、驚くほどシンプルなことに、受け取らなければ、その言葉は相手のもとに残るだけなのです。
「でも、そんなふうに割り切れないから苦しいのでは」と思われるかもしれません。
そのとおりです。
だから釈迦は、受け取らない心をどう育てるかについても、繰り返し教えを残しています。
くり返し思い出す、その痛み
『法句経』の冒頭近く、釈迦はこう語ります。
「あの人は私を罵った、私を打った、私に打ち勝った、私から奪った」と、そうした思いを抱く人には、恨みはついにおさまることがない。 「あの人は私を罵った、私を打った、私に打ち勝った、私から奪った」と、そうした思いを抱かない人には、恨みはおさまる。
出典: 『法句経』双品(Dhp 3-4)南伝大蔵経より
さらに続けて、こう説かれます。
恨みは、恨みによっておさまることはない。恨みを手放すことによってこそ、恨みはおさまる。これは永遠の真理である。
出典: 『法句経』双品(Dhp 5)
ここで釈迦が示しているのは、傷ついた思いをくり返し胸のなかで再生することの危うさです。
「あの人にああ言われた」と何度も思い出すたび、私たちは自分自身で傷を新しくしている。
それはまるで、刺さったとげを自分でさらに押し込んでいるようなもの。
傷つけた相手がそばにいなくても、その行為は私たちの内側で続いているのです。
逆に言えば、その「くり返し思い出す」という癖に気づき、手を止めることができれば、傷はそれ以上ひろがらない。
釈迦の教えは、「相手をゆるしなさい」という道徳の話ではなく、もっと実践的な、自分の心の取り扱い説明書なのです。
人の言葉に傷ついたあと、つい怒りが込み上げてきてしまうこともあるでしょう。そんなときの向き合い方については、以前お伝えした「人間関係のイライラが止まらないとき、怒りを手放す慈悲の教え」も、よろしければのぞいてみてください。
今日の小さな実践
では、日々のなかで、どうやって「受け取らない心」を育てればいいのでしょう。
それは大きな修行ではなく、とても小さな内側の動きから始まります。
まず、誰かの言葉にチクリと傷ついたとき、こう自分に問いかけてみてください。
「いま、私はこの言葉を『受け取って』しまっているな」と。
それだけでかまいません。
受け取っていることに気づくだけで、握りしめていた手は少しゆるみます。
つぎに、もし頭のなかでその言葉が何度も再生されていたら、「ああ、いままた再生しているな」と、ただ気づいてみてください。
再生を止めようと力む必要はありません。
気づくだけで、そのループは自然に弱まっていきます。
そして最後に、こんなふうに思ってみてください。
「この言葉は、相手のなかから生まれたもの。
相手の事情や、そのときの感情がかたちになったもの。
だからそれは、相手の荷物であって、私の荷物ではない」。
そうやって、言葉の所有権を相手にそっと返すのです。
この実践は、一朝一夕で身につくものではありません。
でも、くり返すうちに、「あ、いま受け取った」「あ、いま再生した」という気づきの瞬間が少しずつ早くなっていきます。
気づきが早くなるほど、傷が深くなる前に対処できるようになります。
あなたは、言葉以上の存在
誰かの言葉に傷つくのは、あなたが弱いからではありません。
むしろ、まわりの言葉に真摯に向き合う、感受性の豊かさのあらわれです。
でもその感受性を、あなた自身を傷つけるために使わなくてもいいのです。
二千五百年以上前、釈迦は私たちに言いました。
あなたを傷つける言葉は、あなたが受け取らなければ、あなたのものにはならない、と。
それは一つの自由です。
誰かの口から出た言葉によって、自分の心の状態まで決められてしまう必要はない。
あなたの心は、あなたのものです。
今夜、もし胸に残る言葉がよみがえってきたら、そっと思い出してみてください。
「これは、私が受け取らなければ、私のものではない」と。
そして、ふうっとひとつ息を吐いて、その言葉を相手のところへ返してしまいましょう。
あなたの胸には、もっとあたたかな言葉を住まわせる場所があります。