月末の残高を確認するたびに、ため息が出る。
老後の資金、子どもの教育費、もしものときの蓄え。
「もっと貯めなければ」「もっと稼がなければ」という思いが、頭のなかをぐるぐると回り続ける。
ニュースでは物価の上昇が報じられ、SNSをひらけば同世代の暮らしぶりが目に飛びこんでくる。
お金の不安は、誰の胸にも住んでいるものですが、その不安が、今日という一日のなかにあるささやかな喜びまで覆い隠してしまうとしたら、少し立ち止まってみませんか。
二千五百年以上前、釈迦は「足ることを知る心こそが、最高の財産である」と説きました。
『法句経』の「安寧品」にある一節です。
健康は最上の得がたいものであり、足るを知ることは最上の財産である。信頼できる人は最上の親族であり、安らぎは最上の幸せである。
出典: 『法句経(ダンマパダ)』第204偈「安寧品」
この言葉が語られた背景には、こんな逸話が伝えられています。
あるときコーサラ国のパセーナディ王が、毎日の贅沢な食事のあとに釈迦の説法を聞きに来ましたが、満腹のあまり強い眠気に襲われ、何度もうつらうつらしてしまいました。
それを見た釈迦は王に、食事の量を少しずつ減らしていくよう勧めました。
王がその教えを実行すると、からだが軽くなり、頭もすっきりと冴えるようになったといいます。
そのとき王に贈られたのが、この言葉でした。
ここで注目したいのは、釈迦が王に「財産を捨てなさい」とは言わなかったことです。
王は王のまま、ただ「いまの量で足りている」と気づくだけで、からだも心も軽くなったのです。
この逸話が示しているのは、「足るを知る」ことは貧しさを我慢することではない、という視点です。
「もっと」という渇きに追い立てられなくなったとき、ひとははじめて、すでに自分の手のなかにある豊かさに気づくことができるのです。
仏教には「少欲知足」という言葉があります。
欲を少なくし、足ることを知る。
それは欲を否定することではなく、「いま、ここにあるもの」に目を向ける練習だと、私は思います。
お金そのものが悪いのではなく、「もっと」という思いに縛られて、いまの自分を見失うことが、ほんとうの苦しみの種なのかもしれません。
今夜、ノートをひらいて、すでに満たされていることを三つ、書き出してみてください。
あたたかい飲み物が飲めたこと。
誰かと交わした、たわいもない会話。
屋根のある場所で眠れること。
それは、銀行の残高とは関係のない、あなたの人生にある確かな豊かさです。
毎日続けていると、不安の声よりも「いま足りている」ほうに、目が向きやすくなっていきます。
お金の不安が消えるわけではないかもしれません。けれど、不安のとなりに「いま足りていること」を置いてみると、心のなかの景色が少し変わります。関連する記事「比較に疲れたとき、釈迦の「足るを知る」」でも、同じ教えを別の角度からお伝えしています。こちらも、よろしければご覧ください。
明日、目が覚めたとき、足りないものではなく、すでにあるものを一つ、見つけてみてください。
その積み重ねが、やがてあなただけの豊かさのかたちになっていきます。