鏡を見るたびに、少しずつ変わっていく自分が気になる。
以前はなかった皺、疲れの残りやすさ、若い頃と同じようにはいかない体力。
年を重ねることは自然だとわかっていても、老いへの不安が胸を押しつぶしそうになる夜がありますね。
「このままでいいのだろうか」 「自分にはもう価値がないのではないか」
そんな声が心のなかでくり返し響いて、前に進めなくなることがあるかもしれません。
誰かと比べては落ち込み、過ぎ去った日々をうらやみ、明日への怖さに押しつぶされそうになる。
でも、二千五百年以上前、釈迦は老いを否定したり、怖がったりする必要はないと説きました。
老いは、ただこの世の自然な流れのひとつにすぎない、と。
『法句経』「老いること」の章に、こんな一節があります。
王たちの立派な戦車もいつかは壊れ、 この身体もまた滅びに向かう。 しかし、善き人々の徳が滅びることは決してない。 善き人々は、そのことを善き人々に伝えるのだ。
出典: 『法句経』老いることの章(Jarā Vagga)第151偈(Max Müller訳、Sacred Books of the East Vol.10、1881年、パブリックドメイン)
この一節は、とてもやさしい目で現実を見つめています。
王様が乗るような華やかな戦車でさえ、いつかは朽ちていく。
私たちの身体も、同じように移り変わっていく。
それは決して悲しいことではなく、ただ「そういうものだ」という、ごく当たり前の真実なのです。
そして釈迦は、そのうえで大切なことを教えてくれます。
身体や見た目は変わっても、「善き行い」や「育んだ智慧」「やさしさ」は、歳月にすり減らされることがない。
むしろ、年を重ねることで深まり、輝きを増すものだと。
無常はすべてを奪い去る力ではなく、変わらないものをこそ浮かび上がらせる光なのです。
変化すること自体に怖さを感じるときは、「変化をこわがらずに生きる、無常がくれる自由な心のつくり方」もあわせてお読みください。老いもまた、そんな変化のひとつにすぎません。
今日からできる、小さな実践をひとつ。
毎朝、鏡を見るときに、変わっていく自分の顔を「敵」ではなく「旅の道連れ」として見つめてみてください。
「ああ、今日も一緒にいてくれるんだな」と。
そして、年齢とともに増えてきた「人の痛みがわかるようになったこと」「あせらなくなった心」「ほんとうに大切なものが見えてきたこと」にも、そっと目を向けてみましょう。
身体は変わっても、あなたがこれまでに誰かに差し出したやさしさや、積み重ねてきた思いやりは、決して色あせたりしません。
それこそが、老いのなかでこそ輝く、あなただけの「徳」なのです。
老いは、奪っていくものではなく、かたちを変えて与えてくれるもの。
そう見つめ直せたとき、不安は自然の流れのなかに溶けていくかもしれません。
あなたのこれからの日々に、やわらかなあかりがともりますように。