夜、布団に入ったとたん、突然やってくる。

来月の支払いは大丈夫だろうか。

この先、ちゃんとやっていけるのだろうか。

子どもの将来は、自分の老後は。

昼間は気を張ってやり過ごせても、あたりから物音が消え、闇だけが部屋を包むころ、将来への不安が波のように押し寄せてくる。

あれこれと思いを巡らせるうちに、胸がざわついて眠れない。

気づけば深夜、時計の針だけが無情に進んでいる。

そんな夜を、あなたも経験されたことがあるのではないでしょうか。

実はこの心の動きを、二千五百年以上前に釈迦ははっきりと見抜いていました。

『中部経典』の第131経「一つの良き夜の経(バッデーカラッタ・スッタ)」で、釈迦は弟子たちにこう語りかけます。

Don't run back to the past, don't hope for the future. What's past is left behind; the future has not arrived; and phenomena in the present are clearly seen in every case.

出典: 『中部経典』第131経「一つの良き夜の経(Bhaddekaratta Sutta)」SuttaCentral, Sujato訳 (CC0)

「過去を追いかけず、未来を待ち望むな。

過ぎ去ったことはすでに後ろに置き去られ、未来はいまだ訪れていない。

いま目の前にあることを、あるがままにはっきりと見なさい」と。

ここでいう「未来を待ち望む」とは、希望や期待だけでなく、不安や恐れで未来を想像することも含まれています。

ああなったらどうしよう、こうならなかったらどうしよう。

そうやってまだ来ぬ明日のことで心をいっぱいにしているとき、私たちは「いま」を生きていない。

いま手にしているもの、いま感じていること、いまできることを、はっきりと見ることができなくなっているのです。

不安は、痛みそのものではありません。

不安は、まだ起きていない未来を先取りして、いまここで苦しみをつくり出してしまう心の癖です。

釈迦の言葉は、その癖に気づきなさい、とやさしく教えてくれています。

もちろん「不安になるな」と言われて、すぐに不安が消えるわけではありません。

釈迦はこの経典のなかで、私たちがどうやって過去に引き戻され、未来に引き寄せられるのか、その仕組みも説明してくれています。

過去の楽しかった記憶に「またああなりたい」とすがるとき、あるいは「あの時こうしていれば」と悔やむとき、私たちは過去を追いかけている。

未来の「こうなったらいいな」に心を躍らせるとき、あるいは「こうなったらどうしよう」と怯えるとき、私たちは未来を待ち望んでいる。

そして「いま」にいるつもりでも、目の前の出来事に「自分」を絡めてとらえてしまうと、私たちはこの瞬間にも心を乱してしまう、とも。

では、どうすれば「いま」に心を戻せるのでしょう。

### 今日の小さな実践

今夜、もしまた不安の波が押し寄せてきたら、布団のなかでそっとこう問いかけてみてください。

「いま、この瞬間、私の身に実際に起きていることは何だろう」

呼吸ができている。

布団のあたたかさを感じる。

窓の外からは遠く風の音が聞こえるかもしれない。

体のどこかは少し疲れているかもしれない。

それだけです。

未来の破綻も、過去の後悔も、いまこの瞬間には起きていません。

それらはみな、頭のなかの映画です。

ここで大切なのは、不安を「消そう」と力まないこと。不安は、消そうとすればするほど、かえって存在感を増します。代わりに、「ああ、また未来を先取りしてしまっているな」と、ただ気づくだけでかまいません。その気づき自体が、「いま」に戻る一歩です。以前お伝えした「執着を手放せないあなたへ」でも触れたように、握りしめていることに気づくだけで、指は少しゆるみ始めます。

さらに一歩進めてみたい方は、この経典の後半も思い出してみてください。

釈迦はこうも言っています。

「今日こそが、精を出すべき日。

明日、死が訪れないとは誰にも言えないのだから」と。

これは決して怖がらせる言葉ではなく、今日を大切に生きなさい、という励ましです。

未来に怯えて今日を費やすよりも、いまここにある今日という一日を、あなたのために使ってほしい。

そんなふうに読んでみてはいかがでしょうか。

夜の闇のなかで、不安の波が押し寄せてきたら、どうか思い出してください。

過去はとうに過ぎ去り、未来はまだ来ていない。

あなたの人生は、この一呼吸のなかにあります。

その一呼吸は、確かにあなたのものです。

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