【モーセの物語とその歴史】退行催眠で見たエッセネ派説

退行催眠といえばブライワン・ワイス博士が有名です。

筆者も学生の頃ワイス博士の書籍をたくさん読み、実際にワイス博士の退行催眠CDで過去世に戻ったことがあります。

当時は筆者も退行催眠のヒーラーとしてたくさんの方々の過去世を一緒にも見てきました。

実体験から、退行催眠については非常に信憑性が高いと感じます。

この記事ではまずは旧約聖書で伝えられているモーセの物語と、退行催眠でエッセネ派にアプローチして、スディーという名のユダヤ教徒が知っている2000年以上前に認識されていたモーセの物語とを比較しながら考察していきましょう。

書籍の中でスディーは「出エジプト記」というのは聴いたことがないと証言しています。

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モーセの物語

モーセの物語は、旧約聖書の中でも最も重要で影響力のあるエピソードの一つです。

この物語は、イスラエルの民がエジプトの奴隷状態から解放されるまでの過程を描いています。

有名な海を二つに割ったというおはなしはどこかの絵本などでも出てくるお話かもしれません。

その辺りの秘密も、退行催眠のスディーの証言などを交えながら考察していきます。

モーセの誕生と幼少期

モーセは、イスラエルの奴隷としてエジプトに住んでいたレビ族の家庭に生まれました。

エジプトのファラオは、イスラエルの人口増加を恐れ、新生児男子を殺す命令を出しましたが、モーセの母は彼をナイル川に隠しました。(パピルスで結んだ籠)

この幼児大虐殺はのちに新約聖書でもイエスの幼少期として語られます。

イエスの誕生を祝福しにきた東方三賢人は、ヘロデ大王「新しい王の誕生おめでとう」と伝えますが、それに激怒した王は子供達を大虐殺したと福音書で伝えられています。

しかし、これはモーセの伝説を真似て作成された真実とは異なる物語であるという見解が一般的です。

東方三賢人の中のサルバタールは現在アルゼンチン・コリエンテス州に霊体が鎮座しています。

貴重なサルバタール祭りの映像がありますので、興味があればこちらもどうぞ!

【超貴重映像あり】イエスの誕生を預言したアフリカの賢人〜実は今〇〇にいます。

そんなモーセでしたが、そこでファラオの娘に発見され、宮廷で育てられることとなったということです。

エジプト第18王朝または第19王朝のファラオの治世中でした。

2000年前のエッセネ派〜スディーの証言

モーセの物語は当時のエッセネ派にとってもとても重要なエピソードの一つです。

実はこの出生に関しては、スディーの時代のエッセネ派と今日の私たちの認識とは大きくずれているようです。

スディーの理解では、実はヘブライ人だったのは、母親ではなく、父親の方でした。

(モーセはヨセフの血を引く子孫)

モーセの家系図

アブラハム

イサク

ヤコブ

レビ

ヨセフ

アムラム

モーセ

母親はエジプトの王女であったということです。

ファラオの娘が生みの親とのこと。

エジプトの王女を守るために意図的に流したデマであると言われています。

紀元前13世紀頃、エジプトは強力な帝国であり、イスラエルの民は労働力として使役されていました。

モーセの物語は、この時代のエジプトの社会構造と矛盾する部分がありますが、他の古代文献と比較することで理解を深めることができます。

ミディアンへの逃亡と神の召命

成人したモーセは、エジプト人がイスラエル人を虐待しているのを目撃し、エジプト人を◯害してしまいます。

そのため、ミディアンへ逃亡し、そこで神ヤハウェからの召命を受けます。

燃える柴の中から現れた神は、モーセにイスラエルの民をエジプトから解放する使命を与えました。

ミディアンの地域には、古代の宗教的遺跡が多く発見されています。

これらの遺跡は、モーセが経験した神の召命に関連する可能性があります。

特に、ミディアンの砂漠に存在する古代の礼拝所や祭壇は、当時の宗教活動を示しています。

2000年前のエッセネ派〜スディーの証言

◯害してしまったと言う点は共通していますが、スディーの表現では「衝動的に」ということでした。

エジプト人がイエスラエル人を虐待というのが背景にあるかどうかはわかりません。

そこでファラオが怒ったということですが、この事件がきっかけで王宮そのものを追われたわけではなく、これまで王子として育てられてきたモーセですが、この時に、自身の父親が奴隷だったことを知ってしまったそうです。

「自分の父親が奴隷であるならば、自分自身も奴隷である」と、同じ民族であるヘブライ人と暮らすため、自ら荒野へ出ていったということです。

そしてこの決心をしたあとに、モーセはなんと、ファラオの王妃となるネフェルタリのことを愛してしまったために、荒野へ追い出されたということでした。

実際にはネフェルタリもモーセのことを愛しており、ラムセスも気がついていた、そしてそんな二人に嫉妬したことが追い出されたきっかけだったそうです。

燃える柴の場面

モーセがミディアンの荒野で羊を放牧している最中、ホレブ山(神の山)に到達します。

そこで彼は燃える柴を見つけますが、奇妙なことにその柴は燃えているにもかかわらず、燃え尽きませんでした。モーセがこの光景を調べようと近づくと、神の声がその柴の中から聞こえてきました。

(出エジプト記3章1-6節)

神はモーセに、「ここに近づいてはならない。履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる地である」と言います。

そして神は自分がアブラハム、イサク、ヤコブの神であることを明かし、モーセにエジプトからイスラエルの民を救出する使命を与えます。

スディーもこの燃える柴の話は聞いたことがあるそうです。

しかし、スディーはこの燃える柴に対して疑問を持っているようでした。

ずいぶん妙な話だと思わないか?よく考えてみよ、人間の注意をひくためにわざわざ燃える柴と化し、神が現れる必要があるか?ただ普通に「ヤハウェだ、話したいことがある」と語り掛ければいいだけの話だ。
私が思うにヤハウェはモーセの魂に語りかけたのであろう。
モーセは神の声に耳を傾け、心の中で神戸対話をしたのだ。

イエスとエッセネ派〜退行催眠で見えてきた真実

確かにこれは単純に後のユダヤ人が物語をより壮大に見せるためにエンターテイメントとして書いた現象であると考えるのが自然ですね。

神と対話したければ、自分のハートをひらけばいいだけなのだ。
神は人間の心の中にいる。
どんなときも、いつでも神は我々の心の中にいる。
神の声を聴こうと意識すればいいだけの話なのだ。
意識を向けていれば、いずれ神の声は聴こえてくるようになる。

イエスとエッセネ派〜退行催眠で見えてきた真実

神から受けた使命

主に3つの使命が神から与えられます。

1. イスラエルの民を解放する

神はモーセに、エジプトで奴隷状態にあるイスラエルの民を解放するために彼を選んだと告げます。

モーセはファラオのもとへ行き、イスラエルの民をエジプトから解放するよう要求する役割を担います(出エジプト記3:10)。

2. 神の導きの証として

神はモーセに、彼が神からの使者であることを証明するための奇跡を行う力を与えました。

例えば、杖を蛇に変える、手を癒すなどの奇跡です(出エジプト記4:1-9)。

3. 十戒を与える

後にモーセはシナイ山で神から十戒を受け取り、これをイスラエルの民に伝えます。

この十戒は、イスラエルの民が守るべき道徳的・宗教的な律法の基盤となります(出エジプト記19-20章)。

神からの指示の詳細

  • 神の名の啓示: 神はモーセに「私は在りて在る者である」(I AM WHO I AM)という名を告げ、これをイスラエルの民に伝えるよう命じました(出エジプト記3:14)。
  • イスラエルの長老たちへの告知: モーセはまずイスラエルの長老たちに神の言葉を伝え、彼らと共にファラオに面会することになっています(出エジプト記3:16-18)。
  • エジプトの災い: ファラオがイスラエルの民を解放することを拒む場合、神はエジプトに災いをもたらすと告げています。これにより、最終的にファラオはイスラエルの民を解放せざるを得なくなります(出エジプト記3:19-22)。

エジプトへの帰還と十の災い

神の命を受けたモーセは兄アロンと共にエジプトへ戻り、ファラオにイスラエルの民を解放するよう要求します。

ここで突然アロンが出てきて驚きますが、実は神は神はアロンにも言葉を降ろしており、「モーセを迎えに行くように命じ」ました。

アロンはモーセと荒野で再会します。

モーセに対しても、アロンが重要になると指示していました。

「そのとき、主はモーセに向かって怒りを燃やし、『レビ人のアロン、あなたの兄弟がいるではないか。彼が雄弁なことは、私は知っている。見よ、彼は今、あなたに会うために出迎えに来ている。彼はあなたを見ると、心から喜ぶであろう。』」

出エジプト記4:14

イスラエルの民を解放するよう要求しましたが、ファラオはこれを拒否。

そのため、神はエジプトに十の災いをもたらします。

最終的に、ファラオはイスラエルの民を解放することになりました。

「そしてファラオは夜のうちにモーセとアロンを呼び寄せて言った、『立ち上がり、あなたがたもイスラエルの民も、わたしの民の中から出て行け。そして言われた通りに主に仕えなさい。あなたがたの言われた通りに、羊の群れや牛の群れを取り、また祝福をもわたしのために祈れ』」。

出エジプト記12:31-32

十の災いの解釈

これらの十の災いは、科学者や考古学者的な視点では、エジプトの自然現象や疫病と関連付けられることが多いです。

例えば、ナイル川が血に変わったという記述は、赤潮現象と関連付けられます。

これらの災いは、エジプトの神々の力を否定するものとして描かれています。

十の災いと自然現象・疫病の関連
災い 聖書の記述 関連する自然現象・疫病 考古学的・科学的説明
1. ナイル川の水を血に変える ナイル川の水が血に変わり、魚が死に、川の水を飲むことができなくなった 赤潮 赤潮は有害な藻類の大量発生により、水が赤く見える現象。酸素欠乏により魚が死ぬことがある
2. カエルの災い エジプト全土に大量のカエルが発生し、家々や寝床、料理場などに入り込んだ 洪水の後のカエルの大発生 洪水や湿地の形成後、カエルが大量発生することがある。ナイルの氾濫が原因かもしれない
3. ぶよの災い 土の塵がぶよとなり、人間や家畜に群がった 蚊や虫の大量発生 湿地や不衛生な環境では蚊や虫が大量発生しやすい。赤潮や洪水の後に発生することが多い
4. ハエの災い 大量のハエがエジプト全土に発生し、住居や土地を荒らした 衛生状態の悪化 死んだ魚やカエルが腐敗し、ハエが大量発生することがある
5. 家畜の疫病 エジプトの家畜に重い疫病が発生し、多くの家畜が死んだ 牛疫や他の伝染病 家畜間で伝染病が広がることがある。特に不衛生な環境では発生しやすい
6. 腫れ物の災い 人間と家畜に腫れ物が発生し、エジプト全土に広がった 皮膚感染症 蚊やハエによる刺咬、感染症により皮膚病が広がる可能性がある
7. 雹の災い 激しい雹と火がエジプト全土に降り注ぎ、畑の作物や木々、家畜に甚大な被害をもたらした 極端な気象現象 異常気象により大規模な雹が発生することがある。雷を伴う場合もある
8. イナゴの災い 大量のイナゴがエジプトに飛来し、雹で被害を受けなかった作物や果物の木を食い尽くした イナゴの大発生 乾燥と湿潤の変化がイナゴの大量発生を引き起こすことがある。農作物への被害が甚大
9. 暗闇の災い 三日間、エジプト全土が真っ暗になり、人々は互いに見えず、動くことができなかった 日食や砂嵐 大規模な砂嵐や火山噴火の影響で暗闇が続くことがある。日食も一時的な暗闇を引き起こす可能性がある
10. 長子の死の災い エジプトのすべての家庭の長子が一夜にして死んだ 疫病または毒物 特定の食物や水源に毒物が混入した場合、一部の人々が集中的に被害を受ける可能性がある。特に長子のみを狙った理由は不明だが、食習慣や習慣的な要因も考えられる

【超重要】出エジプトと紅海の奇跡

イスラエルの民は、モーセに導かれてエジプトを脱出。

ところが、エジプト軍が迫っていたのです。

なぜ、ファラオは一度解放したのにまた追いかけてくるのでしょうか?

それは、ファラオが後悔したからと伝えられています。

「民が去ったことがエジプトの王に告げられると、ファラオとその家臣たちは民について心が変わり、『我々は何ということをしたのか。イスラエルを奴隷として使役することをやめさせてしまった』と言った。そこでファラオは戦車を整え、自分自身の軍隊を率いて出て行った。彼は600両の選り抜きの戦車と、エジプト全土の戦車をすべて連れて行った」。

出エジプト記14:5-8

紅海の奇跡

聖書の記述

出エジプト記14章では、神がモーセに対して杖を海に向かって伸ばすよう命じたと記されています。

すると、海が二つに分かれ、乾いた地が現れ、イスラエルの民はその道を通って渡ることができました。

エジプト軍が追跡しようとした際、海は元に戻り、エジプト軍は海に飲み込まれてしまいました。

神の力によって海が割れ、イスラエルの民は無事に渡ることができましたが、追跡してきたエジプト軍は海に飲み込まれてしまいました。

考古学的視点

紅海の渡渉に関しては、様々な説があります。

一部の学者は、浅瀬の湖や塩湖を渡ったとする説を提唱しています。

また、紅海地域での遺跡調査や地形学的研究は、この物語の信憑性を検証する手助けとなります。

スディーの解釈

ある説によると、海が左右にひらいたということになっているが、その情報は嘘だ。
実際は海を渡ったと言った方が正しい。
彼らは(モーセとヘブライ人たち)は海の上をわたる能力を持っていた。
うーむ、どう説明すればわかりやすいだろう?
いうならば、彼らは思考と信念の扱い方を熟知していた。
彼らの念力が大きなエネルギーと化し、浮上することができたのだ。
足元さえも、水に濡れなかったそうだ。

イエスとエッセネ派〜退行催眠で見えてきた真実

スディーの時代でも一つの説としてこういう話があったということです。

スディーがあれは嘘だ!というのは、エッセネ派ならではの情報網、または口伝で伝えられた何かがあったのでしょうか?

特にエッセネ派は当時でも奇跡と言われるような現象を扱えていた可能性が高く、こういった海をエネルギーとして捉え、海の上を浮上する方法について知っていた可能性があります。

スディー曰く、水の上を歩けるようにエネルギーを水の中に注入していた。

ということです。

エネルギーの法則の基本は、自然と調和し、決して自然に逆らわないことだ。
自然の法則に逆らうと、すべてのバランスが崩れ落ちてしまう。
すると、大きな被害を引き起こしたり、大きな損傷を負ったりすることになりかねない。
クムラン共同体では、だれもがエネルギーを扱えるようになるための特訓を受ける。
信念さえあれば、不可能を可能にすることができる。
とにかく、自分を信じることがなによりも大切なのだ。

イエスとエッセネ派〜退行催眠で見えてきた真実

こういうフレーズを見ると、イエスがエッセネ派だったことを感じることができるのではないでしょうか?

当時では奇跡とも呼ばれるような現象を数多く残したイエスでしたが、弟子にも実際に「わずかからし種一粒ほどの信仰心でもあればなんでもできる」と残しています。

例えば、マタイ福音書17:14-20にはこのようにあります。

  • 14: 彼らが群衆のところに来ると、ある人がイエスのところに近寄ってきて、ひざまずいて言った、
  • 15: 「主よ、私の息子をあわれんでください。彼は癲癇もちで、ひどく苦しんでいます。しばしば火の中に倒れたり、水の中に倒れたりするのです。
  • 16: 私は彼をお弟子たちのところに連れて来ましたが、治すことができませんでした」。
  • 17: イエスは答えて言われた、「ああ、不信仰で曲がった時代よ。いつまで私はあなたがたとともにいなければならないのか。いつまであなたがたに我慢しなければならないのか。彼をここに連れて来なさい」。
  • 18: そして、イエスが彼を叱りつけられると、悪霊は彼から出て行った。少年はその時から治った。
  • 19: その後、弟子たちがひそかにイエスのところに来て言った、「なぜ私たちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか」。
  • 20: イエスは言われた、「あなたがたの信仰が小さいからです。まことに、あなたがたに言います。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって『ここからあそこに移れ』と言えば、そのとおりになる。そして、あなたがたには不可能なことは一つもありません」。

スディーの言葉もイエスに通ずるところがあると感じます。

質問者が、海をわたるヘブライ人「全員が信じられていたのか?」という質問に対しては、「可能性を信じていた」それぞれ十分な信念を持ち、前を行くもののあとをついていったのだ。

ファラオの軍隊はエネルギーを扱える能力を持っていなかったし、信念のかけらもなかったから、海の底へと落ちていったということです。

確かに、全員が現象になるほどまでに確信を持っていなくても、「きっとそうなる」という思いだけで、目の前の人が実際に海の上を歩いているのを見ると、「確信」に変わるという感覚はありますよね。

今まで生きてきた常識の枠を超えるというのは、実際に見るそして体験することで得られるはず。

私たちも同じ状況で、目の前の人が実際に海を渡っていたら、「あー、渡れるようになってるんだ!(仕組みやプロセスを理解する必要はない)」と思い、一歩を踏み出せますよね。

一歩目が沈まなければもう確信に変わるはず。

こういう仕組みで、ヘブライ人たちは1歩目に続いたと考えられます。

このエピソードについて、書籍では、スディーはこの話を当たり前のできごとのように淡々と語った。
しかし、わたしは完全に理解することはできなかったとあります。

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最初の一歩は誰?モーセ?

モーセの紅海の物語において、最初の一歩を歩いたのはモーセではなく、ナフション(ナシュン)という人物であると伝えられています。

この詳細は聖書の本文には記載されていませんが、ユダヤ教の伝承やミッドラッシュ(ユダヤ教の解説文学ナフションの伝承)によるものです。

ナフション・ベン・アミナダブ(Nachshon ben Aminadav)

  • ナフションはユダの族長であり、ミリアムの夫であり、アロンの妻エリシャバの兄でもあります。彼は、出エジプトの際に、モーセが紅海を分ける前に、信仰心を示して最初に海に入ったとされています。
  • ミッドラッシュによると、ナフションは神の命令を信じ、他のイスラエルの民がためらっている中、最初に紅海に入りました。彼が膝まで水に浸かったときに、モーセが海を分ける奇跡が起こったとされています。

この伝承は、信仰の重要性と勇気を示すエピソードとして広く語られています。

シナイ山での契約と十戒

シナイ山でモーセが神から十戒を受け取るエピソードは、旧約聖書の「出エジプト記」に記載されています。

このエピソードは、イスラエルの民と神との間の契約を確立し、モーセ律法の基盤を形成する重要な出来事です。

この契約は、イスラエルの民と神との間の新しい関係を確立するものであり、モーセ律法の基盤となります。

十戒は、西洋の倫理と法律の基盤としての役割を果たしています。

これにより、モーセの律法は後のユダヤ教、キリスト教、さらにはイスラム教の教義にも影響を与えました。

「主はモーセに言われた、『民のところに行って、今日と明日、彼らを清めさせ、衣服を洗わせなさい。そして、三日目のために備えなさい。三日目に主は全イスラエルの民の目の前でシナイ山に降臨されるからである』」。

出エジプト記19:10-11

神の降臨と十戒の授与

三日目に、雷鳴と稲妻、厚い雲が山を覆い、非常に大きなラッパの音が鳴り響きました。

これにより、神の降臨が示されました。

「三日目の朝、雷鳴と稲妻があり、厚い雲が山を覆い、大きなラッパの音が鳴り響いた。全ての民はキャンプの中で震え上がった。モーセは民を神に会わせるためにキャンプから連れ出し、彼らは山のふもとに立った。シナイ山は全体が煙に包まれ、主が火の中からその上に降臨されたので煙が立ち上った。全山が激しく揺れ動いた」。

出エジプト記19:16-18

このラッパが、有名なドラマSPECの映画版で出てくる描写であると思います。

モーセは山に登り、神から十戒を受け取りました。

これらの戒めは、イスラエルの民が守るべき道徳的、宗教的な規範として示されました。

十戒の内容
番号 戒め 説明
1 あなたには、わたし以外に他の神があってはならない。 唯一神信仰を示し、他の神々を崇拝することを禁じています。
2 あなたは、自分のために偶像を作ってはならない。 偶像崇拝の禁止を示し、いかなる形の偶像も崇拝してはならないとしています。
3 あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。 神の名を軽々しく使うことを禁じ、神の名の尊重を求めています。
4 安息日を覚えて、これを聖とせよ。 七日目を休息日として守ることを命じています。
5 あなたの父と母を敬え。 親を敬い、尊重することを求めています。
6 殺してはならない。 他人を殺すことを禁じています。
7 姦淫してはならない。 婚外関係を禁じ、貞操を守ることを求めています。
8 盗んではならない。 他人の財産を盗むことを禁じています。
9 偽証してはならない。 他人に対して偽りの証言をすることを禁じています。
10 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。 他人の財産や妻などを羨むことを禁じています。

シナイ山の出来事とラッパ

シナイ山でモーセが十戒を受け取ったとされる時代は、紀元前13世紀頃と推定されています。

これは新王国時代のエジプト(紀元前16世紀から紀元前11世紀)にあたり、エジプト第19王朝のラムセス2世の治世(紀元前1279年-1213年)とほぼ同時期です。

「ラッパ」という言葉は、古代ヘブライ語の「ショファール(shofar)」を指すことが多いです。

古代エジプトや中東地域では、当時金属製のトランペットのような楽器が存在していました。

例えば、エジプトのツタンカーメン王の墓からは銀と青銅製のトランペットが発見されています。

これらの楽器は儀式や戦闘時に使用され、音を遠くまで響かせることができたわけです。

例えば、ツタンカーメンのトランペットは紀元前14世紀のもので、長さ約58センチの円錐形をしており、口部にマウスピースが取り付けられています。

このような楽器は、音を出すために口で振動を与え、共鳴管を通じて音を増幅する仕組みです。

引用:Wikipedia

西洋の金管楽器の進化

西洋の金管楽器は、古代から中世、そしてルネサンス期にかけて徐々に進化していきました。

紀元前6世紀頃には、古代ギリシャでサルピンクス(Salpinx)という金属製のトランペットが使用されていました

この楽器は、儀式や軍事行動で使われ、エジプトのトランペットに似た形状と機能を持っていました。

シナイ山での「ラッパの音」は、現代のトランペットとは異なるものの、古代の宗教的儀式や重要なイベントで使用されていたショファールや古代トランペットのような楽器を指していると考えられます。

ショファールは古代の楽器で、羊の角を用いて作られています。

主にユダヤ教の宗教儀式、特にロシュ・ハシャナ(ユダヤの新年)やヨム・キプール(贖罪の日)に使用されます。

契約の箱の正体

契約の箱(Ark of the Covenant)は、旧約聖書において、イスラエルの民が神との契約を守るために作られた神聖な箱です。

この箱は、特に出エジプト記、民数記、申命記などの書物に詳述されています。以下に、契約の箱に関する詳細な情報を示します。

契約の箱は十戒の石板を納めるための神聖な容器であり、イスラエルの民と神との間の契約の証を保管するために作られました。

契約の箱はアカシア材で作られ、純金で覆われていました。

箱の蓋には「贖いの蓋(Mercy Seat)」と呼ばれる部分があり、その上には二体のケルビム(天使)が翼を広げており、これが神の臨在の象徴とされました。

契約の箱の歴史

契約の箱はイスラエルの歴史において重要な役割を果たしましたが、時には敵対者に奪われることもありました。

例えば、ペリシテ人に奪われた際には、彼らの神殿や町に災厄をもたらしたとされています(サムエル記上5章)。

最終的には、ダビデ王によってエルサレムに運ばれ、その後、ソロモン王が建設した神殿の至聖所に安置されました(列王記上8章)。

現在はどこにあるのでしょうか?様々な説があります。

確実な場所は不明ですが、主要な説や伝承を紹介します。

エチオピア説

エチオピアのアクスムにあるセント・メアリーズ・シオン教会に契約の箱が保管されていると主張されています。

この教会では、箱を守る専任の守護者が存在し、他の誰も箱を見ることは許されていないとされています。

  • 支持者の主張: エチオピア正教会は、箱がソロモン王とシバの女王の息子メネリク1世によってエチオピアに持ち込まれたと信じています。

エルサレム説

契約の箱はエルサレムの地下に隠されているという説もあります。

特に、第二神殿の破壊時に箱が失われ、地下の隠し場所に保管された可能性があるとされています。

  • 支持者の主張: 一部のユダヤ教の伝承によれば、契約の箱はバビロン捕囚の際に神殿の地下に隠されたとされています。

ベツ・シェメシュ説

イスラエルのベツ・シェメシュの遺跡で契約の箱が見つかったとする説もありますが、これについての証拠はほとんどありません。

  • 支持者の主張: 一部の考古学者は、この地域が契約の箱の最後の所在場所である可能性があると示唆しています。

ヨハネの黙示録説

新約聖書の「ヨハネの黙示録」11章19節には、天の神殿に契約の箱が現れるという記述があります。

これに基づいて、契約の箱が天に運ばれたという宗教的解釈も存在します。

エッセネ派が見る契約の箱の正体

その箱はヤハウェと対話をするための回路だ。
ヤハウェと対話をするひとつの手段なのだ。
また、ヤハウェとエネルギー交換することもできる箱でもある。
その箱の中には、この世と宇宙の叡智がぜんぶ秘められていると伝えられている。

イエスとエッセネ派〜退行催眠で見えてきた真実

契約の箱とは、時空を超えた偉大なる存在の一部であるとスディーは言っています。

レビ族が契約の箱の秘密を守っており、レビ族はアロンの末裔であるとされています。

アロンとはモーセのお兄さんでしたね。

2000年前のエッセネ派スディーの証言では、2000年前時点では厳重に保管されているとのことでした。

レビ族が子孫代々で契約の箱の秘密を守っていましたが、バビロニア王国の時代、それ以降の皇帝などによって何度も獲られていました。

彼らは契約の箱に秘められた力を私利私欲な願いを叶えるために利用したのだ。
その結果、王国は崩壊していった。
その都度、箱は隠された。
それ以後も箱はなんども出されては隠されている。
現在(2000年前のエッセネ派時代)、契約の箱は再び行方をくらませている。
その箱は神からの贈り物だ。
ヤハウェが契約の箱を構築する知識をモーセとアロンに与えた。
しかし、まだ人間にはこの叡智を扱える準備が整っていなかった。
そのことをヤハウェは悟ってしまった。
契約の箱に秘められているエネルギーは、まだ人間にはあまりにも強力すぎた。(エネルギーの威力から)
人間を守るためには隠蔽されている。

イエスとエッセネ派〜退行催眠で見えてきた真実

その後質問者が契約の箱は破壊できるか?という質問に対して人間には絶対にできない、神だけだと答えます。

心が汚れている者たちや誠意のない者たちが契約の箱に触れるようなことがあれば、彼らは確実に命を失うだろう。
契約の箱が持つエネルギーの威力が強すぎるからだ。
そのあまりの衝撃に心臓が止まってしまうか、脳の機能も止まってしまうかもしれない。
いずれにせよ、もうこの世にとどまることはできなくなる。
〜中略〜
紅海を渡ったときには、まだ契約の箱は持っていなかった。
彼らが40年間放浪した後で箱は作られた。
契約の箱は十戒が記されている石板やそのほかの律法が書かれたパピルス紙などを保管するために作られた箱でもあるからだ。
モーセが箱の外観をつくり、カルー族が高次エネルギーの源を箱の中に注入したと伝えられている。

イエスとエッセネ派〜退行催眠で見えてきた真実

モーセの持つ杖の先にあった水晶

モーセの旅路の中で、彼が持つ杖の話もスディーはしてくれていました。

「偉大なる水晶」が杖の先についており、道標となっていたそうです。

彼らが正しい方角に向かっているときはその水晶は輝きを増し、間違った道を進む時には薄暗くなったそうです。

このエピソードについては書籍を参照してほしいと思います。

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モーセの最期とモーセの反抗

モーセは聖書によれば、120歳まで生きました。

彼の生涯は旧約聖書の出エジプト記、レビ記、民数記、申命記に詳述されており、イスラエルの民をエジプトから脱出させ、神との契約を確立する上で重要な役割を果たしました。

モーセは、イスラエルの民を約束の地カナンへと導きましたが、自身はその地に入ることが許されませんでした。

神はモーセに、ヨルダン川を越えて約束の地に入ることはできないと告げました(申命記32:48-52)。

モーセはネボ山の頂に登り、そこから約束の地を眺めました。

神はモーセにカナンの全景を示し、イスラエルの民に与えると約束しました。

その後、モーセはモアブの地で死去しました。

なぜモーセは約束の地に入れなかったのか?

実は晩年、モーセは神に対して反抗します。

民数記20章では、イスラエルの民が再び水を求めて神に不満を訴えた際のエピソードが描かれています。

神はモーセに、杖を持って兄アロンと共に岩に向かい、水を出すよう命じました。

しかし、モーセは岩に話しかける代わりに、怒りを込めて二度岩を打ちました。

これにより、神の命令に対する不信が示されたとされています。

このエピソードもスディーは語ってくれています。

約束の地を目前にして、モーセは命を落としたと伝えられている。
モーセが約束の地に入ることができなかった要因は、モーセが自分自身のことを信じ切ることができなかったからだ。
モーセは民衆の意見に振り回されてしまったのだ。
疑惑があったとき、モーセの心が揺らいでしまったことがそもそもの原因なのだ。
ことの発端はヤハウェが授けた水晶の導きにモーセが従わなくなったからなのだ。
〜中略〜
約束の地に入っていけたのは次世代の若者たちだけだった。
ともに荒野を放浪していた初代の年長者たちは、だれも約束の地にははいれなかったらしい。
が、たしかアロンだけは約束の地に入っていけたはずだ。

イエスとエッセネ派〜退行催眠で見えてきた真実

モーセの影響と後継者

モーセの後継者として、ヨシュアがイスラエルの指導者となり、民を約束の地に導きました。

モーセの律法は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教における倫理と法律の基盤として、後の世代に大きな影響を与えました。

モーセの死後、神はヨシュアに命じて、イスラエルの民をヨルダン川を越えてカナンの地に導くよう指示しました。

ヨシュア記1:1-2

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