【シュタイナー式音楽教育】ピアノは何歳から習わせるべきか?

英才教育でピアノを学んだ多くの先人たちが超絶技巧に偏り、晩年に向けて霊性を高めていくのに対して、例えばアルトゥ…


シュタイナーは各種楽器についても深く言及しています。

そんな中でもピアノという楽器についてはとても注意深くコメントを残しています。

そもそも楽器という概念そのものが霊界からのものであること、そして私たちの身体そのものはすでに楽器であるということ。

ところで、人体とはなになのでしょうか。
音楽の観点から見ると、人体は楽器なのです。
バイオリンやその他の一般の楽器も、なんらかの子音から組み立てられたものとして把握することができます。
子音について語る時、楽器を思い出させるものがいつもの感情の中にあります。
そして、あらゆる子音の全体的調和が人体の姿を示すのです。
芸術において人間は、世界の中に結び付けられた霊を解放する。
音楽芸術において人間は、自分自身の中に結び付けられた霊を解放する。

音楽の本質と人間の音体験:ルドルフ・シュタイナー

霊界から見たピアノとは何か?

ピアノに関して言えば私たちの次元の理性が物理世界に作り上げた霊界にはない装置であるということが重要になってきます。

楽器は霊的世界から取ってこられたものです。
ただ、ピアノは人間が物質界で作ったものなのです。
音がまったく抽象的に並べられています。

音楽の本質と人間の音体験:ルドルフ・シュタイナー

後述しますが、当然シュタイナーはピアノが悪いものであるといっているわけではないので、ピアニストのみなさんも誤解なきようお願いします。

シュタイナー式の教育で見ると、幼い頃からピアノを使って音楽に触れる、音楽を学ぶことを良しとしていません。

筆者も一人の音楽家として、ヒーリングピアニストとして感じることが、やはりピアノに触れるということは極めて理性的になってしまうということ。

各和音の中に響きがあり、そのサウンドの中に倍音が発生します。

シュタイナーがアトランティス時代やレムリア時代の音楽の様子を解説してくれていますが、例えばアトランティス時代の七度のインターバル、そして完全五度から三度のインターバル(和音)を捉えるにしても、現代設計されているピアノの場合は必ず平均律で調整されるわけです。

平均律はバッハの時代以降、音楽理論的に特別トラブルを抱えることがないため、現代でも採用されています。

それ以前は例えばピタゴラス音律などが採用されていたわけです。

ピタゴラス音律の問題点と言えば、modulation(転調)する際に様々な問題が発生しますし、その点においては平均律の方がシステマチックであると言えるわけです。

音律を創造する

当然ながらピアノ以外の楽器奏者というのはオリジナルの音律(平均律が軸にはなる)を持って音楽を奏でるわけです。

ピアノを触る、ピアノに触れるということは、どうしても平均律の概念から解放されることはありません。

(幼少期において)システマチックに音楽に触れることに意味はあるのか?

という点を考慮する必要があります。

ピアノの使い方

筆者も専門はピアノですが、昔から周囲と話していたのは、『ピアノとは人類最古のスーパー音楽コンピューターだよね』というところでした。

音楽を奏でるということは、常に右脳的感性と左脳的感性の両方をバランスよく取る必要があります。

アトランティスやレムリアなどの霊的体験のための音体験、音楽体験の時代であれば右脳だけ、つまり霊界への入口だけ意識していればよかったわけです。

しかし、アトランティスの後期にはすでに人々は七度と神々が結び付かなくなっているとも言われており、時代とともに五度の霊性、三度の霊性、四度の霊性など、様々なインターバルの感性を失っていったとシュタイナーはいっています。

現代では音楽における霊界との入り口はまさに閉ざされてしまったといっても過言ではないわけですが、ここで重要になってくるのが音楽を奏でる音楽家、そして作る作曲家、それぞれがしっかりと霊界にアクセスすることができるのか?

というところ。

人間の身体そのものに振動数の階層があるように、それらと共鳴するための霊的システムを完全に失ったわけではないというところ。

音楽を持って、振動、周波数を持って共鳴し続けることで扉は開かれると言えます。

インターバルにおいて霊界へのアクセスが充分ではなかったとしても、芸術家は皆それぞれ右脳と左脳のバランスを取るための訓練を考察し続けています。

結果として右脳に偏りすぎると、純粋な振動やバイブレーションのみがそこにただ存在する状態になってしまい、楽曲化(現代音楽理論における作曲の定義)することができません。

ピアノという装置自体は右脳を解放して、霊的な振動やバイブレーションを物理世界に落とし込むためのコンバーターであると認識すると自然なのかもしれません。

ピアノは俗物楽器です。
しかし、ピアノがあるのは幸運なことです。
ピアノがなかったなら、俗物はそもそも音楽を有することができなかったでしょう。
ピアノは、音楽の唯物論的体験から発生したものです。
ですから、物質の中に音楽を目覚めさせるために、人が、もっとも安楽に使用する楽器がピアノなのです。
そこで用いられるのは純粋に物質であり、ピアノは音楽を表現しうるのです。
ピアノはよい楽器であるといわなくてはなりません。
ピアノがなかったなら、この唯物論の時代において、音楽の授業に際して、わたしたちは最初から霊的なものの助けを必要とするでしょう。

音楽の本質と人間の音体験:ルドルフ・シュタイナー

さらにこういった面白いことも知ることができました。

神々の音楽を作り続けたブルックナー。

彼がピアノを弾くとどうなるのでしょうか。

『ブルックナーのように、まったく音楽の中に生きている人がピアノを演奏すると、大きな印象を受ける』
と、いわねばなりません。
ブルックナーが演奏すると、ピアノが部屋から消え去るのです。
聴衆は、ほかの楽器を聴いているように思います。
聴衆はピアノを忘れるのです。
それはブルックナーのなかに、本能的な方法であっても、あらゆる音楽の基盤となる霊的なものがまだ生きていることの証拠です。
以上がみなさまにお話ししたかったことです。

音楽の本質と人間の音体験:ルドルフ・シュタイナー

ブルックナーの音楽は是非ともチェリビダッケの指揮で聴いて欲しいと思います。

また、個人的にはブルックナーの交響曲は7番がおすすめ!

ロリンマゼールの指揮で7番に入り浸る時間を作って見てはいかがでしょうか。

何歳から学ばせるべきか?

人間は9歳頃までは長調と短調の区別ができません。

つまり、長三度と短三度の違いはわからないと言われています。

つまり9歳までに長三度や短三度の理性の面を教育したとしても、それは平均律という概念に縛られるだけであり、霊性を早くに失うことにつながると考えられます。

ただし、先述の通り、現代の音楽理論の中で楽曲を制作する以上システマチックに機能するピアノを演奏、操作できる能力というのは必須になります。

そういう意味では最初はギターやバイオリンなどの弦楽器、そして笛などの管楽器などから始めて、10歳以降からはシステムとしてピアノの機能を学ばせるのが霊性を保ったまま物理次元の音楽感と融合できる分岐点なのではないかと思うわけです。

英才教育でピアノを学んだ多くの先人たちが超絶技巧に偏り、晩年に向けて霊性を高めていくのに対して、例えばアルトゥールミケランジェリなどのように最初はバイオリンから始めたピアニストなどは技巧性よりも、感性や霊性の面を強化する方針であることが多いような気がしてなりません。

実際に、確かなBPM(正確なリズム)や、より正確で均一なタッチコントロール、揺らぎのない譜割りを、完璧にこなすピアニストに育ってしまった場合、そこから感性や霊性を見出していくことはかなり難しいのではないか。。。と一人の音楽家として感じざるを得ません。