「結果が出ない」「思うように進まない」。

そんなとき、胸のあたりがざわざわして、いてもたってもいられなくなることはありませんか。

努力はしているのに、返事は来ない。

がんばっているのに、かたちにならない。

頭では「時間がかかる」とわかっていても、気持ちが追いつかない。

そうして焦れば焦るほど、手元がくるって、かえって遠のいてしまう。

そんな悪循環に、思いあたる節がある方も多いのではないでしょうか。

「すぐに結果がほしい」という心の動きは、二千五百年以上前、釈迦もよく知っていました。

そして、それに対する答えを、「中道(ちゅうどう)」というかたちで遺しています。

釈迦が弟子のソーナに語ったと伝えられる教えがあります。

ソーナはあまりに熱心に修行に打ち込むあまり、足の裏が裂けて血が出るほどでした。

それでも心は満たされず、「もう還俗しようか」と思い悩んでいたのです。

そこへ釈迦が現れて、こう問いかけました。

ソーナよ、おまえは昔、家にいたころ、ヴィーナー(弦楽器)を奏でるのが上手だったそうだな。 では、弦を張りすぎたら、そのヴィーナーは良い音が出るか。 「いいえ、出ません」 では、弦がゆるすぎたら、良い音が出るか。 「いいえ、出ません」 では、張りすぎず、ゆるすぎず、ちょうどよい加減に張られたとき、良い音が出るか。 「はい、出ます」 ソーナよ、それと同じように、張りつめすぎた精進は落ち着きを失わせ、ゆるみすぎた精進は怠惰を生む。だからこそ、自分の精進のちょうどよい音程を見つけなさい。

出典: 『増支部経典』AN 6.55「ソーナ経」、Thanissaro Bhikkhu 英訳(Access to Insight)より大意

この「ちょうどよい音程」こそ、中道の本質です。

「すぐに結果を出さなければ」と自分を追いつめるのも、「どうせ無理だ」と投げ出してしまうのも、どちらも苦しみを生みます。

「すぐに」も「いつまでも」もない、いまの自分の歩幅で歩くこと。

それこそが、釈迦の言う「中道」の実践なのです。

『法句経(ダンマパダ)』には、さらにこう説かれています。

耐え忍ぶこと、それが最高の修行である。

出典: 『法句経(ダンマパダ)』第14章「仏陀の章」第184偈、パーリ原典「Khantī paramaṃ tapo titikkhā」より

「耐え忍ぶ」と聞くと、苦しいのをがまんする姿を思い浮かべるかもしれません。

でも、ここで言う忍耐(カンティ)は、歯を食いしばるがまんではなく、「いまはそのときではない」と受け入れる、おおらかな心の余裕のことです。

種をまいて、すぐに引っこ抜いて「芽が出ない」と嘆くのではなく、水をやり、陽にあて、芽吹くのを待つ。

それは農夫の忍耐であり、自分のいのちを信じる心でもあります。

「仕事に『もっと』を求めて走り続けてしまう」感覚については、「仕事に「もっと」を求めて疲れるあなたへ、中道が教える、ちょうどいい満足」でもお伝えしました。「もっと」と「もっと早く」は、根っこでつながっています。

今日からできる、小さな実践をひとつ。

いま取り組んでいることのなかで、「結果を急いでいるな」と感じるものを、ひとつだけ思い浮かべてみてください。

仕事でも、人間関係でも、自分磨きでもかまいません。

そして、そのことに対して「今日、自分にできる、いちばん小さな一歩はなんだろう」と、そっと自問してみてください。

メールを一通書く、資料を一ページ読む、ただ相手の話を聴く。

結果ではなく、その一歩そのものに、今日のぶんの「できた」を見つけてあげてください。

結果は、あなたが弦を引きちぎるほど力んでも、早くは訪れません。

逆に、手を離して放り出しても、やはりやってこない。

ちょうどよい張り加減で、今日できることをただ積み重ねていった先に、結果はおのずと姿をあらわします。

弦を張りすぎていた自分に気づけたら、そっと指をゆるめてあげてください。

今日の一歩は、それだけで十分です。

数秘で今日のヒントをのぞいてみる