友人とのやりとりに、ふと疲れをおぼえることはありませんか。
「返信しなきゃ」「誘いを断れない」「いつも気を遣ってしまう」。大切な友人だからこそ、その関係に知らず知らずのうちに力を入れすぎて、心がすり減ってしまうことがあります。人間関係のイライラが止まらないとき、怒りを手放す慈悲の教えでもふれたように、人との関わりはときに深い疲れをもたらします。
二千五百年以上前、釈迦は人がどう生きたらよいかを説くなかで、人間関係についてもはっきりとした指針を遺しています。
『法句経(ダンマパダ)』には、こんな一節があります。
もしあなたが、思慮深く、すぐれた人生を歩む賢い友を見つけたなら、あらゆる困難を乗り越えて、その人と共に、よろこびをもって、気づきのうちに歩みなさい。 もしそのような友を見つけられないなら、征服した王国をあとにする王のように、あるいは象が森をひとり歩くように、あなたはただひとりで道を行きなさい。 愚かな者と共に歩むより、ひとりで生きるほうがよい。ひとりで歩み、悪をなさず、象が森のなかでそうであるように、こだわりなく生きなさい。
出典: 『法句経(ダンマパダ)』第23章「象の章」328〜330偈(Buddharakkhita訳より)
この言葉が教えてくれるのは、人間関係に「選びとる自由」があるということです。
誰とでも親しくしなければならないわけではない。
無理をしてまで関係を維持しなければならないわけでもない。
そして、ひとりでいることは、けっして寂しさや失敗ではなく、むしろ心が自由になる生き方でもあるのです。
釈迦が生涯を通じて説いた「中道(ちゅうどう)」は、修行の厳しさと快楽への耽溺、そのどちらの極端にも寄りすぎない道でした。完璧でなければダメですか? 自分をゆるす「中道」のすすめでお伝えしたように、この中道は自分自身への向き合い方にとどまらず、人間関係の距離感にもあてはめることができます。
ひとつの極は「どんな友人関係も大切にしなければ」と、自分をすり減らしてまで尽くし続けること。
相手からの連絡にすぐ返さなければと思い、誘いを断ることに罪悪感をおぼえ、SNSでのつながりにいつも気を張っている。
そんな状態がつづけば、心は疲れ果ててしまいます。
もうひとつの極は「もう面倒だ」と、すべての関係からぱったりと距離を置いてしまうこと。
傷つくのがこわくて、期待されるのが重くて、いっそ誰とも関わらないほうが楽だと感じてしまうこともあるでしょう。
けれど、釈迦はそのどちらでもない道を示しました。
『相応部経典』には、釈迦が弟子アーナンダにこう語ったと伝えられています。
善き友情、善き仲間、善きつきあいこそが、清らかな生き方のすべてである。
出典: 『相応部経典』45.2「ウパッダ経」(Thanissaro Bhikkhu訳より)
善き友は、人生を豊かにしてくれる大切な存在です。
だからといって、すべての人と親しくする必要はありません。
自分にとって「善き友」とは誰なのかを見きわめ、その関係をあたたかく育みながら、そうでない関係からはやさしく距離をとる。
それが中道の教える、ちょうどいい距離感なのです。
今日からできる、小さな実践をひとつ。
まず、いまのあなたの人間関係をそっと思い浮かべてみてください。
会ったあとに心があたたかくなる相手、それは「善き友」かもしれません。
反対に、会うといつもどっと疲れてしまう相手もいるでしょう。
その相手との距離を、少しだけ広げてみることを、自分に許してみてください。
返信を一日おきにする、誘いをやんわりと一度断ってみる。
それだけで、心の負担は驚くほど変わります。
ひとりでいる時間は、けっして寂しさの印ではありません。
森を歩く象のように、あなたがあなた自身でいられる、大切な時間です。
今日、もし心が少し疲れているなら、返信を急がなくても大丈夫。
まずは、自分を休ませてあげてくださいね。