「あの人はいつも冷たい」「この仕事は大変だ」「私は運が悪い」。
こんなふうに、目の前の現実について「これはこういうものだ」と決めつけてしまった経験はありませんか。
一度そう思うと、不思議とそのとおりのできごとばかりが目につくようになる。
まるで世界が、あなたの思い込みに合わせて演目を選んでいるかのように。
これは偶然ではありません。
私たちはみな、「心のフィルター」という色つきのレンズを通して世界を見ています。
そして、どんなフィルターをかけているかによって、見える現実が決まってくるのです。
今日は、その心のフィルターの正体と、そっと外してみたときに世界が見せ始める「別の演目」について、お話しします。
心のフィルターが、いまの演目を決めている
Curanzでは、いま目の前に広がる現実のことを「演目」と呼びます。
あなたが体験しているできごと、感じている空気、出会う人。
それらすべてが、ひとつの演目のなかにある場面です。
そして、どんな演目を観ることになるかは、あなたの「心のフィルター」が決めています。
心のフィルターとは、これまでの経験や思い込み、誰かに言われた言葉などからできあがった、ものの見方のくせのようなもの。
「自分はこういう人間だ」「世界はこういう場所だ」という色つきのレンズです。
同じ雨の日でも、「今日は最悪だ」と思う人と「空気が澄んで気持ちいい」と思う人がいるのは、このフィルターの色が違うから。
できごとそのものは中立で、そこに色をつけているのは、ほかならぬあなたのフィルターなのです。
ここで大切なのは、フィルターは「真実」ではないということ。
それはただのくせであり、あなたが過去のどこかで身につけた見方にすぎません。
なのに、フィルターを通して見えたものを「これが現実だ」と信じてしまう。
そして、その信じた現実に合うできごとばかりを、さらに拾い集めてしまう。
このくり返しが、「いつもの舞台」をどんどん固くしていくのです。
フィルターを固めるのは「力み」の働き
フィルターは本来、やわらかく入れ替えられるものです。
今日の気分で、ものの見方が少し変わること、ありますよね。
ところが、そのフィルターに「力み」が加わると、レンズは硬くこびりついてしまいます。
力みとは、願いや思い込みを握りしめすぎてしまうこと。
「私は認められなければいけない」「この人間関係はうまくいかなくてはいけない」と強く握りしめると、その思いに合わないできごとが目に入らなくなります。
フィルターが「これだけ」を見るように固定されてしまうからです。
これは、世界の「対の真実」そのものです。演目を切り替えるスイッチは必ず働く。でも、力みがフィルターを固めてしまうと、新しい演目がレパートリーにあることすら見えなくなります。スイッチそのものが止まるのではなく、スイッチを押すための視界が、力みでふさがれてしまう。このしくみについては、「「必ず叶う」のに「力むと止まる」」でもお伝えしています。
フィルターを外す、それは「知る」ことから始まる
では、固まったフィルターを外すには、どうすればいいのでしょう。
答えは意外なほどシンプルです。
それは、フィルターが「ある」と知ることです。
私たちは普段、フィルターを通して世界を見ていること自体に気づいていません。
魚が水の存在に気づかないように、当たり前すぎて見えなくなっている。
だからまず、「ああ、いま私は、こんな色のレンズで世界を見ているんだな」と知ることが、外すための第一歩になります。
誰かとの会話で「この人は私のことをよく思っていない」と感じたとします。
その感覚を「事実」として受け取る前に、「いま、私は『自分は好かれていない』というフィルターを通して、この人を見ているかもしれない」と、そっと気づいてみる。
たったそれだけで、固まっていたレンズに小さな隙間ができます。
フィルターを外すというのは、新しいフィルターに取り替えることではありません。
ただ、「いまかけているこれ」に気づき、それをそっと脇に置くこと。
何もかけていない目で世界を見たとき、そこにはまだ知らなかった演目が、幕を開けて待っています。
「もうある」と知ることで幕が上がるしくみは、「「もうある」と知るだけで幕が上がる」でもお話ししました。フィルターを外すことも同じです。「外さなければ」と力むのではなく、「ああ、外れた」と知る。すると、知ったその瞬間から、現実のほうが新しい演目を見せ始めます。作るのではなく、動くのはいつも現実の側なのです。
今日からできる、三つの小さな実践
頭での理解を、日々のなかでからだに落とし込むために。
今日からできる実践を三つ、ご紹介します。
ひとつめ。
「今日の色」に名前をつける。
朝、目が覚めたら、今日の自分の気分を色で表現してみてください。
「グレーだな」「少しピンクがかっているな」と、ただ感じます。
良い悪いの判断は不要です。
名づけることで、いまどんなフィルターをかけているかを知る習慣ができます。
ふたつめ。
「ほんとうにそうかな」と、一日に一度だけ問いかける。
仕事や人間関係のなかで「これはこうだ」と決めつけた瞬間を見つけたら、そっと立ち止まって「ほんとうにそうかな」と自分に尋ねてみてください。
答えを出す必要はありません。
問いかけるだけで、固まったフィルターに小さな隙間が生まれます。
みっつめ。
今日のできごとを「別のフィルター」で見直す。
一日の終わりに、今日あったひとつの場面を思い出して、「もし私がまったく別の見方でこれを見ていたら、どう見えただろう」と想像してみてください。
現実を変えようとするのではなく、見方を遊びで動かしてみる。
それだけで、フィルターが固定されていないこと、演目はいつでも別のものがありうることを、からだが覚えていきます。
フィルターが外れた先にある景色
心のフィルターを一枚外すたびに、世界は少しずつ、あなたがまだ観たことのない演目を見せ始めます。
それは、いまの舞台を否定することではありません。
「ああ、こんな演目もあったのか」と、レパートリーの広さに気づくことです。
フィルターを外すのに、特別な修行はいりません。
ただ、今日一日のなかで、自分がいま何色のレンズをかけているかに、そっと気づいてみてください。
そのやさしい気づきが、一枚一枚のフィルターを脇に置き、新しい幕を上げるスイッチになります。