「もう叶っている」と知っているのに、なぜか心がついてこない。
頭ではわかっているのに、胸のあたりがざわついて落ち着かない。
それは、あなたが「知る」ことと「感じる」ことのあいだに、小さな段差を感じているのかもしれません。
「知っている」のに動かない、その正体
「未来はもうレパートリーにある」。
そう知ったとき、たしかに心がふっと軽くなります。
ところが数日もすると、「でもまだ現実は変わっていない」と、またもとの舞台に戻っている自分に気づく。
この行ったり来たりは、誰にでも起こる自然なことです。
その正体は、頭と体のあいだにあるタイムラグのようなもの。
頭は一瞬で新しい演目を「知る」ことができます。
けれど、これまで何年も繰り返してきた思考や感覚のクセは、体のほうに染みついています。
頭が「もうある」と言っても、体は「まだない」と感じ続ける。
その矛盾が、スイッチを浅いところで止めてしまうのです。
「もうある」と知るだけで幕が上がるでお伝えしたように、「知る」ことはたしかに強力なスイッチです。でも、そのスイッチをもっと深く、もっと確かなものにするのが「感じる」という層なのです。
「感じる」がスイッチを深くする理由
「感じる」とは、単に感情を動かすことではありません。
体全体で「もうそうなっている」という実感を受け取ることです。
たとえば、夏の朝に目を覚ましたとき、カーテンの向こうが明るいだけで「あ、晴れている」と感じる。
わざわざ窓を開けて確認しなくても、光の気配だけで体がわかる。
この「体がわかる」という感覚が、「感じる」の本質です。
望む演目についても同じです。
頭の中で「叶った」と思うだけでなく、その場面に立っている自分の肌の温度や、聞こえてくる音、胸のあたりのふくらみを、そっとなぞってみる。
すると、「知っている」が「感じている」に変わり始めます。
「すでに叶った」をリアルに感じる、五感イマジネーションのコツでも触れているように、五感を使うことで「まだ叶っていない」という力みがほどけ、演目が舞台の上で動き始めるのです。
頭から体へ、橋をかける小さな実践
「感じる」を日常に取り入れるのは、意外とシンプルです。
どれも数分でできることばかり。
力まず、遊びのつもりで試してみてください。
ひとつめは「すでにある証拠」を体で受け取ること。
たとえば「人に恵まれている」という演目を選びたいなら、今日あった小さな親切をひとつ思い出し、そのとき自分がどう感じたかを胸のあたりで味わいます。
「ありがたい」という気持ちが、ふわっと胸に広がるのを感じるだけで十分です。
ふたつめは「未来の日記」を手書きすること。
望む演目がすでに幕を開けた一日を、今日の日付で書いてみます。
「朝、カーテンを開けたら、今日はなんだか空気があたたかくて」というふうに、頭のなかの構想ではなく、体の感覚を中心に綴ってみてください。
みっつめは、夜の数分間、目を閉じて「叶ったあとの自分」の呼吸をなぞること。
あの舞台に立っている自分は、いまどんな呼吸をしているだろう。
浅いか深いか、速いか遅いか。
その呼吸を、いまここで真似してみると、体が「もうそこにいる」と錯覚し始めます。
知っているから、感じられる
ここでひとつ、大切なことをお伝えします。
「感じる」は「知る」の代わりではありません。
「知る」という土台があってこそ、「感じる」が深まるのです。
未来はもう、レパートリーのなかにあります。
演目を切り替えるスイッチは、あなたが握っています。
そしてそのスイッチは、握りしめるほど止まり、そっと知ってそっと感じるときに、最も深く入るのです。
作るのではなく、すでにある演目を選ぶ。
その選び方を、頭だけでなく体ごと覚えていく旅だと思ってみてください。
あせらなくて大丈夫です。
今日、ひとつだけでいい。
頭で知ったことを、そっと体に降ろしてみる。
その積み重ねが、いつのまにか舞台の幕を上げていきます。
あなたのペースで、あなたの感じるままに。
よくある質問
Q. 「感じる」のが苦手です。どうすればいいですか
A. 感じるのが苦手なのは、これまで頭で考えることに慣れてきた証拠でもあります。
まずは「いま、椅子に座っているお尻の感触」や「飲み物の温度」など、日常の小さな体感に気づくことから始めてみてください。
感じる力は、少しずつ育てていけるものです。
Q. 感じようとすればするほど、逆に力んでしまいます
A. それはとてもよくあることです。
「感じなければ」と思うその気持ち自体が、すでに力みになっています。
感じることは努力ではなく、すでにそこにある感覚に「気づく」ことに近いものです。
力んだと感じたら、一度深呼吸をして、「あ、いま力んでたな」と自分に気づくだけで十分です。
Q. 知っているだけでは不十分なのでしょうか
A. 知ることはスイッチを入れる大切な第一歩です。
ただ、長年染みついた「まだない」という体の感覚があると、知っただけではそのギャップに揺れ戻されることがあります。
感じることは、そのギャップをやさしく橋渡しする手段です。
知ると感じるは、どちらが優れているというものではなく、両輪のようなものだとお考えください。