【日本音楽における神様と通じるコマンド?!黄鐘】〜日本神道の音響特性の秘密

未科学の領域では確かに神様の存在はそこにある、しかし、科学の領域でも音響というのは量子物理などと交差しながら次…


先日こちらの記事をFBでシェアしたところ、音楽家仲間からたくさんのコメントをいただきました。

【432hz音響を資本主義経済視点で考察】〜芸術と文化は諸行無常

その中でも龍笛の師匠から日本神道の音楽について音律(雅楽は十二音律)や調整が定義された背景について研究された資料があると紹介していただき、Chat GPT 4と一緒に読み込んでいきました。

日本の神道文化に関しては非常に奥深く、また史実とともにスピリチュアルな視点でも様々な考察が行われています。

筆者が個人的に気をつけたいところが、史実とスピリチュアル、つまり感性の部分、未科学の部分とを区別して考察していきたいというところ。

日本語という存在が多次元の存在を物質化するための音であるという説もありますし、日本に眠る音の概念は音楽家として長い時間をかけて研究していかねばなりません。

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古代中国の五行思想と日本の音

五行思想は、宇宙の基本的な要素を木、火、土、金、水の五つに分類し、これらの要素が相互に作用し合っているという中国の哲学です。

この思想は、神道音楽形成においても重要な要素の一つとされており、黄鐘調誕生の基礎ともなっています。

黄鐘調については後述しましょう。

五行思想といえば、古代ギリシャ音楽時代も例えばピタゴラスなどは宇宙と音の関係についての独自の哲学を持っていたとされていますし、ここからはスピリチュアル的な要素にはなりますが、神智学者のルドルフ・シュタイナーもレムリアやアトランティス時代は音の高さ音程、周波数の振動によって霊界とつながる入り口になると述べています。

五行思想の伝来と雅楽の誕生

日本における五行思想の伝来の歴史は推古天皇(日本の第29代天皇で、593年から628年まで在位)の時代に百済から伝来したとされています。

この思想は、聖徳太子によって冠位十二階の制定など、政治的な体系に取り入れられました。

7つの音階のなかに12の五度があることは、五度のインターバルによって人間の外に音楽による動きの可能性が存在するということを証明しています。
人間は音楽とともに、四度とともにはじめて自分にいたるのです。

ルドルフ・シュタイナー

五行思想は宮廷陰陽道として貴族に利用され、民間にも広がっていったことが記録されています。

雅楽の誕生

雅楽が体系的に誕生したのがは奈良時代の8世紀頃とされています。

  • 701年 – 大宝律令(文武天皇(697年 – 707年))の制定に伴い、楽部が設置される
  • 8世紀 – 聖武天皇の時代に盛んに楽人が渡来し、本格的な演奏が開始
  • 8世紀末 – 日本独自の変化が加わり、日本式の雅楽が完成
  • 9世紀 – 貴族社会で雅楽が広まり、雅楽所も設けられる

中国から伝来した雅正な音楽を起源とし、日本独自の変遷を遂げた伝統音楽です。

五行思想とともに様々な文化が日本に渡ってきて独自の音楽が形成されたと言われています。

日本の神道儀式そのものがユダヤ教の儀式に類似点が多いとされる日ユ同祖論も存在していますが、ここはまた史実を深掘りするには資料や情報収集が追いつかないため今回の記事では割愛します。

ちなみにここからはスピリチュアル的音響のお話ですが、仏教伝来の際に日本に到達したとされるネウマ譜は五行思想が伝来した平安時代に伝わりました。

元々仏教の経典の読み上げ、お経などは音程やフレージングが決められており、それらの振動によって祈りや物質化が行われていたと筆者は想像しています。

チベットやミャンマーの密教系のお経などは信者全員で同じ音程に揃えて唱えているところからネウマ譜のスピリチュアル的要素は明確に存在していたと思われます。

四天王寺の鐘の音

四天王寺は聖徳太子によって建立された七大寺の一つとされています。

『日本書紀』によると、四天王寺の建立がはじまったのは推古天皇元年(593年)に始まったとされています。

この寺院は、蘇我馬子の法興寺(飛鳥寺)と並び、日本における本格的な仏教寺院としては最古のものになります。

きっかけとしては崇仏派の蘇我氏と、排仏派の物部氏の間の武力闘争があり、聖徳太子が四天王の像を作り、勝利を祈願したことが始まりでした。

崇仏派の勝利後、聖徳太子は四天王寺の建立に取りかかったとされています。

四天王寺は、度重なる災害により最古の建物は失われています。

しかし、その歴史的重要性は変わらず、日本仏教の発展において重要な役割を果たしてきました。

日本音楽のチューナー

なんとも民族性が垣間見えることではありますが、四天王寺の鐘の音は日本音楽の基調、チューナーとしての役割を果たしていたと言われています。

チューナーとしての機能の解説の前に、日本音楽の音楽理論について少し解説しておきましょう。

音楽の専門家でなくてもわかりやすいように解説していきます。

黄鐘調

さきほど登場した五行思想に則って誕生した黄鐘調とは、音楽の調における一種となります。

黄鐘調は五音音階の「黄鐘(音の名前であり、四天王寺の鐘の音)」を主音とする旋法(音階)に基づいた調のことを指します。

黄鐘は中国古来の呼び名であり無常を表現しているといわれています。

西洋音楽史を学んだ音楽家のみなさんとシェアするためにはC2の音という表現で伝わるかと思います。

非専門家向けに解説すると、ピアノの真ん中に椅子を持ってきて座り、一番近いドの音です。

つまり黄鐘調とは、黄鐘をはじまりとしたハ長調、Cメジャー(厳密には違います)のことになります。

ただし、五音で構成されておりFの音が存在していません。

黄鐘調の音階はC-D-E-G-A-Bという音程関係になります。

C(2)を主音(終止音)とし、そこから全音-全音-短三度-全音-全音の順に音程が上がっていきます。

楽器のチューニング

ご存知のように世界中のあらゆる音楽文化の中でアンサンブルをする以上音程と音律をある程度合わせるということは常識となっています。

例えばモーツァルトが使っていたチューナーは音叉と呼ばれるもので430hzだったと伝えられています。

日本における雅楽文化では、先述した四天王寺の鐘の音を音叉代わりに使っていたそうです。

さて、四天王寺の鐘の音を音叉の代わりに使うとなると西洋音楽的視点で見た時に不都合が生じるわけです。

それはどんな不都合か?

季節によって音程が変わる

四天王寺の鐘、時宗の歴史は1406年に始まります。

  • 元々の時宗は1406年に鋳造された。
  • 元和2年(1616年)に鐘が落下して破損。
  • 寛文4年(1664年)に再鋳され現在に至る。(重さ約11トン)
  • 低くゆったりした音色で知られ、「四天王寺の鐘の音」として親しまれる。

江戸時代に再建されてから350年以上が経過した時宗は、今もなお四天王寺のシンボルとして親しまれています。

重要文化財に指定された日本を代表する鐘の一つと言えます。

おそらく金管楽器の演奏を経験した方であればとても身近に感じるかと思いますが、季節によって、主管の長さは大きく変わります。

440hzを基準とする場合暑い真夏ですと主管はめいいっぱい抜き切る必要がありますが、寒い冬の時期ですと主観はかなり短くする必要があります。

同様のことが四天王寺の鐘でも起こっており、暑い夏の時期は音は高くなり、寒い冬の時期は音程は低くなると想像することができます。

四季折々の日本の美しい景色

これは神道儀式での雅楽は季節によってその響きが変わるということを意味しています。

四季折々の日本ならではの奥深い文化と言えるのではないでしょうか。

春夏秋冬様々な景色を見せてくれる日本ですが、音にまで四季が存在しているとはあまりにも美しい文化であると感じさせてくれます。

これはいずれも先述した黄鐘の音程となるわけです。

徒然草には四天王寺の鐘の音に関する記述が引用されています。

これが五行思想とどのように関連しているかについての解釈が示されています。

四天王寺の鐘の音は黄鐘調となっており、これは五行思想における「中央」を象徴する音で、季節の変化に応じて音の周波数が変わることが特徴的でした。

C2=黄鐘と9度について

さて、ここからもう少し深く考察していきたいと思います。

季節によって神道の音楽はそのサウンドを変化させていたという奥深い芸術性に関しては、個人的にやはり日本の文化は独特であると感じるわけです。

基準音となる周波数を先に決める西洋の概念とは違い、自然界の法則に従う、まさに八百万の哲学がここにあるかと思います。

もちろん五行思想における無常を表現したもの、その無常を神道の雅楽でも取り入れるというさらに一段深い芸術性も垣間見えますが、神道的な価値観のみの視点でみるとシンプルに「音にも神様が宿っている」と言えるわけです。

では音に神様が宿るとはどういうことなのか?

ここで、シュタイナー神智学の霊性との関連を考えてみたいと思います。

先述した黄鐘つまり、ハ音のことですが、シュタイナーは次のように述べています。

7つの音のなかに、人間は生きている。
しかし、わたしはそのことについて、なにも知らない。
ハ音、嬰ハ音において、わたしたちは揺さぶられる。
へ音あるいは嬰へ音を聴いたとき、ハ音、嬰ハ音から人間はエーテル体、アストラル体に突き当たるのである。
エーテル体は振動し、アストラル対に向かって突進する。(震源はエーテル体のなかにある)ついで、わたしたちは七度までの音にいたり、アストラル体験を有する。
しかし、わたしたちはそのように正確には知らない。
わたしたちは、それを感じるだけである。
オクターブ感覚は、高次の段階における自己発見をもたらす。
三度はわたしたちを内面に導く。
オクターブはわたしたち自身を、もう一度感じさせるのであるといわねばなりません。

ルドルフ・シュタイナー

真夏と真冬を比較すると、西洋式金管楽器では時に半音程度音程が変化することから、季節によって、ハ音または嬰ハ音へ神道のサウンドも変化していったことが想像できます。

440hzで計算した場合、黄鐘は65.40639133Hzとなりますが、当然時宗(四天王寺の鐘)の黄鐘が何Hzかはわかりません。(最古のものは残っていません)

ただし、サウンドデザイナーの明土真也さんが、当時の時宗のシュミレーションを出している論文があります。

半音あるいは、全音季節ごとにずれるとすれば、アンサンブルにおいて各楽器の調整自体は、楽人個々の音感に委ねられる部分が多いわけですから、当時かなりの周波数のぶつかりがあったものと想像しています。

これはあくまで想像の範囲内です。

神道の雅楽が神々と通じる推察

不正確かつ11トンもの青銅の鐘の音に対して派生する倍音を排除しながら正確に黄鐘を捉えて合わせられる楽人が何人いたかというと・・・個人的にはかなり疑問ですので。

となると、シュタイナーの言うハ音と嬰ハ音の揺さぶられ(スピリチュアル的な)を多分に感じていたのではないか?

さて、音楽体験は人間全体を通過していきます。
下降したもの、地上の人間が形成される前に超人的な方法で人間にやってきたもの、胎児期の成長の基盤となるもの、今日ではわたしたちが動くことによって、わたしたちの仕草によってわたしたちのなかに生きるものが関与します。
このように人間の中に生きるものが、オクターブの下の部分、ハ音、嬰ハ音、二音、嬰二音の基盤になります。
そして、エーテル的なものに入っていくので、無秩序が現れます。
オクターブの下の音では、人間の四肢組織、人間のもっとも物質的な部分が使用されます。
ホ音から、エーテル体の振動が共に作用します。
それはへ音、嬰へ音、ト音まで行きます。
つぎにアストラル体の振動のなかに作用するものが共に生きるところにいたります。
ついで、動かなくなります。
ハ音、嬰ハ音からはじめて、七度にいたると、わたしたちは立ち止まらねばならない領域にいたるのです。
体験は停止し、わたしたちは全く新しい要素を必要とします。

ルドルフ・シュタイナー

このシュタイナーのコメント、伊勢神宮などでも雅楽を聴くことができますが、雅楽などの神道系アンサンブルを聞いたことのある音楽家ならピンと来る方も多いのではないでしょうか。

ハ音、嬰ハ音、二音、嬰二音、龍笛一つとっても嬰音の役割はかなり特別な存在になってきます。

そこに篳篥や琴、声によってへ音、嬰へ音、ト音まで行きます。

最後のハ音、嬰ハ音からはじめて、七度にいたると、わたしたちは立ち止まらねばならない領域にいたるのです。

雅楽系の楽曲はこのシュタイナーのコメントに沿ったフォームで作られているように感じるのは筆者だけでしょうか。

そこに常時笙が長2度を鳴らしているわけです。(後述します)

逆説的ではありますが、日本人の「曖昧さ」が実は(偶然か?必然か?)神道文化、アトランティスやレムリア等の7度や、♭9や9度の振動を奇跡的に生み出していたのではないか?

と四天王寺の鐘調律の資料を読んでいて感じました。

長2度を鳴らし続ける神の音楽

笙という楽器は常時長2度の音がなっています。

ここに上記のように微妙にズレた周波数を合わせていくことで、本当に多次元の存在との繋がりを感じられていたのではないでしょうか。

実際に師匠が笙の演奏をしてくださったときは確かに「何かの存在がそこに舞い降りた」という感覚があったのです。

聞いてみると、「菅掻」という神様をお迎えするとき、お送りする時に演奏される楽曲なんだとか。

ノイマンKM184のステレオペアで収録しました。

録音でさえ神様の存在を感じませんか?

波動の高い楽人がこういった周波数で演奏すると多次元のエネルギーや存在は必ず動き出します。

音楽文化とはもともと神様のために儀式のために存在していました。

それらはいつしか大衆化し、人々のための存在となりました。

世界でも現存する多くの宗教音楽、儀式音楽の中にはその周波数が特別なものが多く見られます。

未科学の領域では確かに神様の存在はそこにある、しかし、科学の領域でも音響というのは量子物理などと交差しながら次元の上昇、下降などを定義できるのかもしれません。