雨の日がつづく、この重たさ
窓の外を見ると、今日も雨。
スマホの天気予報を開けば、向こう一週間、傘マークがならんでいる。
ため息がひとつ、こぼれた。
そんな日がつづくと、気持ちまでしっとりと重たく感じられるものです。
洗濯物は乾かないし、髪はうまくまとまらない。
なにより、からだの奥にずしんと居座る憂鬱が、なかなか晴れてくれません。
これが、雨の日がつづくときの「苦」です。
憂鬱の正体は執着にあり
二千五百年以上前、釈迦は苦しみの原因を「執着」と呼びました。
「こうであってほしい」と握りしめる心の動きです。
雨の日でいえば、「晴れてほしい」「じめじめから抜け出したい」という望み。
望みそのものは自然なことです。
でも、変えられない天気に対してそれを強く求めれば求めるほど、「いま、ここ」にないものを欲して、心が引き裂かれてしまいます。
無常がひらく、新しいまなざし
ここで思い出したいのが「無常」という智慧です。
すべてのものは移り変わるという、あたりまえのようで深い真理。
雨も、雲も、低気圧も、いつか去っていきます。
そして晴れの日もまた、永遠にはつづかない。
二千五百年以上前、釈迦はこのことを『法句経』にこう残しました。
「すべてのつくられたものは滅びる」これを知り、見る者は、苦しみのなかで安らぎを得る。これが清らかさへいたる道である。
出典: 『法句経』第277偈(Max Müller訳, The Sacred Books of the East, Vol. X, 1881年)
ここで言う「つくられたもの」には、天気だけでなく、私たちの感情や気分もふくまれます。
憂鬱もまた、条件がそろってあらわれ、条件が変われば消えていく。
それはけっして「あなた」そのものではありません。
だとしたら、心の天気もまた無常です。
雨の日の憂鬱は、ずっとつづくわけではない。
そのことを知るだけで、重たい気持ちとの距離がほんの少し変わります。
雨音に耳を澄ませる、今日の実践
今日からできる、ささやかな実践をひとつ。
雨の音に耳を澄ませてみてください。
ぽつぽつ、しとしと、ざあざあ。
雨には雨の音があり、その音は一瞬として同じではありません。
窓を打つ音、葉っぱの上で弾ける音、軒先から落ちるしずくの音。
無常を、耳でたしかめてみるのです。
もちろん、雨の日がつらいと思う気持ちに良いも悪いもありません。
ただ、「今日の天気も明日には変わっているかもしれない」「いまの憂鬱もずっと同じではない」という視点を、そっと胸に置いてみる。
それだけで、受けとめかたは少しずつやわらいでいくはずです。
天気は変えられなくても、天気とのつきあいかたは変えられます。
あなたの心にも、いつか晴れ間がさす。
それを知っていることが、雨の日をすこしだけ軽くする、無常の智慧です。
よくある質問
Q. 雨の日に気分が落ち込むのは、私が弱いからでしょうか
A. いいえ、日照時間や気圧の変化が気分に影響することは、多くの人が経験することです。
弱さではなく、からだと心が正直に反応しているだけ。
まずはその反応を「そう感じているんだな」と認めてみてください。
Q. 無常を理解しても、やっぱり憂鬱なときはどうすればいいですか
A. 無理に憂鬱を追い払おうとしなくて大丈夫です。
釈迦も感情を否定せず、ただ観察することをすすめました。
「いま憂鬱が来ているな」と眺めるだけで、少しずつ距離が生まれます。
Q. 雨の日を上手に過ごすコツはありますか
A. 「雨の日には雨の日のいいところがある」と無理に見つけようとしなくて大丈夫です。
まずは雨の音やにおい、窓をつたう水滴など、いま感じられることに意識を向けてみてください。
無常を五感でたしかめることが、そのままおだやかな時間につながります。