あのときの、胸のざわつき

年下の同僚が会議でうまく立ち回るのを見た日。

評価され、任される仕事が少しずつ大きくなっていくのを知った日。

なにも感じなかったと言えば嘘になります。

悔しさでも、怒りでもない。

ただ胸の奥が「ざわつく」。

言葉にするのがはばかられる、ひそかな痛みです。

「こんなことで動揺する自分は、小さい人間だろうか」

そう思ったことのあるあなたは、決して小さくありません。

誰にでも起こる、ごく自然な心の動きだからです。

二千五百年以上前、釈迦はこの「競うことから生まれる苦しみ」のしくみを、驚くほど正確に見抜いていました。

なぜこの苦しさは生まれるのか

釈迦の教えの出発点は、つねに「苦しみの正体を見つめる」ことでした。

比べる苦しさも例外ではありません。

年下の同僚を意識したとたん、心は「あの人より上か、下か」という枠組みにすっぽり入り込んでいます。

その枠組みのなかでは、相手の一歩が自分の一歩をうばうように感じられます。

だれかが先に行くことは、自分が後ろに取り残されることと、なぜか同じ意味になってしまうのです。

釈迦はこうした心の動きを「渇愛」として説明しました。

もっと評価されたい、もっと先に行きたい。

その「もっと」が尽きることのない渇きを生み、満たされることのない苦しみをつくり出します。

勝ち負けの外に立つ、中道のまなざし

では、どうすればこの苦しさから自由になれるのでしょうか。

二千五百年以上前、釈迦は『法句経』にこう記しました。

勝利は憎しみを生む。敗れた者は苦しむ。勝利と敗北の両方を捨てた人は、足るを知り、幸せである。

出典: 『法句経』第201偈(Max Müller訳, The Sacred Books of the East, Vol. X, 1881年)

勝っても負けても苦しみは消えない。

だとしたら、そもそも「勝ち負け」というものさし自体をそっと手放してみるのはどうでしょう。

ここで大切なのが「中道」の智慧です。

勝ち負けを手放すことは、「どうでもいい」と投げ出すことではありません。

努力をやめることでも、仕事への情熱を捨てることでもないのです。

釈迦は、修行に打ち込みすぎて疲れ果てたソーナという弟子に、こうたずねました。

「琴の弦は、張りすぎても、ゆるめすぎても、良い音は出ないのではないか」。

弟子が「その通りです」と答えると、釈迦は言いました。

「努力もそれと同じだ。

張りすぎれば心は落ち着かず、ゆるめすぎれば怠けてしまう。

ちょうどよい加減を見つけなさい」

これが中道です。

誰かに勝つために弦を張りつめるのでもなく、負けたからと弦をゆるめてしまうのでもない。

あなたがあなたらしく、もっとも良い音を響かせられる「ちょうどよさ」を、ていねいに探っていく。

それが中道の歩み方です。

今日からできる、小さな実践

では、具体的に何をすればいいのでしょう。

今日からできる、三つの小さな実践をお伝えします。

ひとつめは、「自分の弦の張り具合をたずねる」ことです。

胸がざわついたとき、心のなかで「いま、張りすぎていない?」

と自分に問いかけてみてください。

張りすぎていると感じたら、大きく深呼吸をひとつ。

それだけで、弦は少しゆるみます。

ふたつめは、「相手の良いところを、ただ認める」練習です。

年下の同僚の成果を目にしたとします。

そのとき、「うらやましい」の前に、まず「あの人は、あの人の努力をしたんだな」と、そっと思ってみてください。

比較ではなく、ただの観察に変える。

それだけで、心のざわつきはずいぶんおだやかになります。

みっつめは、「自分の一歩を数える」ことです。

昨日できなかったことが今日できた、先週よりほんの少し要領がよくなった。

他人との距離ではなく、自分の変化に目を向けてみる。

その積み重ねが、外のものさしに頼らない、あなた自身の軸を育ててくれます。

比較の苦しさを感じたときこそ、中道がやさしく肩の力を抜いてくれます。

勝ち負けの枠組みから一歩外に出たとき、あなたはあなたのまま、ちゃんと前に進んでいる自分に気づくはずです。

比較に疲れたとき、釈迦の「足るを知る」

よくある質問

Q. 中道は「ほどほどでいい」という意味ですか

A. そうではありません。

中道は「どちらにも偏らない」という智慧であり、「ほどほど」と「投げやり」は別のものです。

張りすぎず、ゆるめすぎず、自分の力をいちばん良いかたちで発揮できる場所を探ること。

それが中道の本質です。

Q. 同僚の評価を気にしないなんて、現実的ではないのでは

A. もちろん、まわりの評価にまったく無関心でいることはむずかしいものです。

中道が教えるのは「気にしない」ではなく「とらわれすぎない」こと。

評価を参考にしながらも、自分の価値を評価だけで決めない。

そのバランスを少しずつ育てていくことが大切です。

Q. 年齢を重ねるほど、こうした苦しさは増えていくのでしょうか

A. 年齢そのものが苦しさを増やすのではなく、「年上なのに」という思い込みが苦しさを大きくします。

経験や年齢はあなたの財産です。

それを、比較の材料ではなく、あなただけの土台として大切にしてみてください。

小さな実践の積み重ねが、あなたの毎日を少しずつ軽くしていきます。

今日のあなたの一歩を、どうか大切にしてください。

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