母の薬を間違えた夜
朝起きて、着替えを手伝い、食事を用意し、薬を飲んでもらう。
昼には入浴の支度、夜はトイレに起きる物音に耳をすませる。
あなたの一日は、誰かのために刻まれています。
ある夜、薬の数を間違えた。
幸い大事には至らなかったけれど、手が震えました。
「ごめんなさい」と何度も言いながら、胸の奥では違う声がしていたのです。
「もう、だれか私を休ませてほしい」。
そう思った自分を、すぐに責めました。
こんなことを思うなんて、冷たい人間だと。
でも、違います。
あなたは冷たいのではありません。
ただ、疲れ果てているだけです。
なぜ「自分を休ませて」と言えないのか
釈迦の教えの出発点は、苦しみの正体を見つめることでした。
介護の日々が苦しいのは、体の疲れだけではありません。
「私がやらなければ」「ちゃんと見てあげないと」「親を施設に預けるなんて」。
そのひとつひとつが、「こうあるべき」という執着です。
誰かのために尽くせば尽くすほど、「もっと」と自分を追い込んでしまう。
「頑張る自分」という像を手放せなくなる。
釈迦はこうした心の動きを「渇愛」と呼びました。
良かれと思ってしていることの中にも、渇愛はひそんでいるのです。
さらに、ここにはもうひとつ深い仕組みがはたらいています。
「自分を後回しにすることが、思いやりだ」という思い込みです。
介護に尽くすことはたしかに美徳です。
しかし、心が折れるまで走り続けることは、釈迦の教える「慈悲」とは少しちがうのです。
二千五百年前の軽業師が教えること
釈迦はあるとき、弟子たちにこんな話をしました。
むかし、竹竿の上で芸を見せる軽業師がいました。
師匠は弟子に言いました。
「おまえがわたしを見ていてくれ。
わたしがおまえを見ている。
そうやってお互いを見守れば、芸は成功し、無事に竿から降りられる」。
ところが弟子は首を振ります。
「いいえ、師匠は師匠自身を見守ってください。
わたしはわたし自身を見守ります。
それぞれが自分を守るからこそ、芸は成功するのです」
釈迦はこの話をこう締めくくります。
「自分を守ることは、相手を守ることである。
相手を守ることは、自分を守ることである」
弟子の「まず自分を守る」という言葉を、釈迦は否定せず、むしろそれこそが正しいと教えました。
これは『相応部経典』第四十七集第十九経に収められた教えです。
『法句経』にも、こうあります。
自己こそ自己の主である。自己のほかに、いったい誰が主であろうか。自己をよくととのえたなら、人は得がたい主を得るのである。
出典: 『法句経』第160偈(Max Müller訳, The Sacred Books of the East, Vol. X, 1881年)
あなたは、あなたの主です。
介護される方の主である前に、まずあなた自身の主なのです。
慈悲は、まず自分にむけて
ここでいう「慈悲」は、自分を犠牲にして相手に尽くすことではありません。
釈迦の教える慈悲は、相手の苦しみを取りのぞきたいと願う心です。
そして、その慈悲を向けるべき相手のなかには、あなた自身も含まれています。
あなたが倒れてしまったら、誰が薬の用意をするのでしょう。
手が震えるほどつかれていたら、相手にやさしくできるでしょうか。
自分をいたわることは、わがままではありません。
よりよい介護につながる、智慧ある選択なのです。
今日の小さな実践
今日は、ほんの五分だけでいいので、自分のためだけの時間をつくってみてください。
温かいお茶をいれて、椅子にすわって、なにもしない五分間。
スマホもテレビも消して、ただお茶の湯気を眺める。
その五分間は、「誰のためでもない、あなたの時間」です。
最初は罪悪感が湧いてくるかもしれません。
「こんなことをしていていいのか」と。
でも、その声が聞こえたら、そっと思い出してください。
二千五百年前の軽業師が言った「まず自分を守る」という言葉を。
あなたが元気でいることは、そのまま相手を守ることにつながるのです。
「自分さえ我慢すれば」が生む苦しみ、自己犠牲のやさしい手放し方
頑張りすぎて心がすり減るとき、中道が教える「休む」という修行
よくある質問
Q. 家族の介護なのに「自分をいたわる」なんて、身勝手ではないでしょうか
A. 釈迦は「自分を守ることは相手を守ること」と説きました。
あなたの心と体が元気でいることこそが、なによりも介護の質を支えます。
自分をいたわることは身勝手ではなく、むしろ相手に対する誠実な責任の取り方です。
Q. 休もうとしても、「もっとやれるはず」と思ってしまい落ち着けません
A. その「もっと」という思いこそが、釈迦のいう渇愛のあらわれです。
今日は五分、明日も五分。
その積み重ねを「あなたがよくやったこと」として、そっと数えてみてください。
「これでいい」と自分に言ってあげることから、すべては始まります。
Q. 介護がいつまで続くかわからず、先が見えなくてつらいです
A. 未来の長さを思うと、たしかに心が折れそうです。
釈迦の教えでは、長い時間を思って苦しむよりも、今日という一日をていねいに生きることを大切にします。
明日のことは明日にゆだねて、今日は今日のあなたを労わってください。
どうか今日の五分間を、あなた自身にあげてください。
そのやさしさは、まわりまわって、大切な人のもとへも届いていきます。