何年も前の失敗を、今も責めていませんか
夜、ふとよみがえる記憶があります。
あのときのひと言。
あのときの決断。
あのときの逃げ。
もう何年も前のことなのに、思い出すたびに胸がぎゅっと痛みます。
「どうしてあんなことをしてしまったんだろう」 「もっと上手にできたはずなのに」
そう自分を責める声は、一度始まると止まりません。
責めれば責めるほど、心は疲れていくのに、なぜかやめられない。
そんな連鎖を、あなたも知っているのではないでしょうか。
この苦しさは、あなたが弱いからではありません。
心の働きのなせるわざなのです。
苦しみの正体は、過去の「あるべき自分」への執着
二千五百年以上前、釈迦は苦しみの仕組みを、四つの段階でたどりました。
まず苦しみがある。
次に、その苦しみの原因がある。
そして、原因を手放せば苦しみはやむ。
最後に、そのための道がある、と。
過去の自分を責める苦しみを、この順で見てみましょう。
苦しみは、「あのときの自分は許せない」という思いです。
では原因は何でしょう。
「あのとき、こうすべきだった」という、心のなかの理想の像です。
責める心は、現実のあなたを、その理想の像と比べ続けます。
そして、その差のぶんだけ、あなたを責めるのです。
これは「あるべき自分」という像にしがみつく執着です。
もう一つ、無明という原因もあります。
無明とは、物事の本当の姿を見ないことです。
過去のあなたは、すでに変わりました。
いまのあなたと、あのときのあなたは、同じではありません。
それなのに「あのときの私」を、いまの私が背負うべき罪のように抱え込んでしまう。
これもまた、無明のなせるわざです。
「自分ほど愛しいものはない」という釈迦の言葉
では、どうすればこの連鎖はほどけるのでしょう。
ヒントは、釈迦のこんな物語にあります。
コーサラ国のパセーナディ王が、王妃マッリカーに尋ねました。
「自分よりも愛しい人はいるだろうか」。
王妃は答えました。
「いいえ、自分ほど愛しい人はおりません」。
二人は釈迦のもとを訪れ、この話を伝えました。
釈迦は、その言葉を受けて、こう言ったと伝えられています。
心であらゆる方角を探しても、自分より愛しいものは見つからない。
同じように、人は誰でも、自分をいちばん愛おしく思っている。
だから、自分を愛する人は、誰も傷つけてはならない。
この教えは、『ウダーナ』第五品第一経に残されています。
傷つけてはならない相手のなかに、釈迦は「自分自身」も含めていた、と受け取ることができます。
私たちは、自分がいちばん愛しいのに、なぜか自分をいちばん責めています。
ここに、自己嫌悪の連鎖のからくりがあります。
慈悲のまなざしを、自分自身に向ける
慈悲というと、相手を思いやる心のことと思われがちです。
でも、釈迦の教えでは、慈悲は自分自身にも向けるものです。
友人が同じ失敗をしたら、あなたは「仕方ないよ、よく頑張ったよ」と声をかけるでしょう。
それなのに、自分には「どうしてそんなことを」と責める声しかかけない。
これは、慈悲の向きが逆になってしまっている状態です。
慈悲のまなざしとは、苦しんでいる人を、そのままの姿で受け入れる目です。
責めず、裁かず、ただ「苦しかったね」と寄り添う目。
その目を、いま苦しんでいる自分自身に向けてあげてください。
責めるのをやめることは、甘えではありません。
自分をいちばん愛しいと知ることは、その先に人を思いやる心を育てる、確かな足がかりなのです。
今日からできる、自分への慈悲の実践
まず、自分を責める声に気づいたら、こう口に出してみてください。
「あのときの私は、あのときできる精いっぱいを生きた」
そう言ってみると、責める声が少しずつ和らいでいきます。
次に、夜、眠る前に、今日の自分に慈しみの言葉をひとつかけましょう。
「今日もよく生きたね」「苦しいなかを、よく頑張ったね」。
友達に話すような、あたたかい言葉でかまいません。
そして、同じ苦しみを抱える誰かに、そっと優しくしてあげてください。
自分への慈悲は、人への慈悲へと自然につながっていきます。
同じ悩みを、別の角度からお伝えした記事もあります。自分をゆるすことは、完璧でなければダメですか? 自分をゆるす「中道」のすすめに。口にした言葉を責めてしまう苦しみは、つい口がすべって後悔するあなたへ、慈悲から生まれる「正語」の力にまとめています。
過去のあなたを責めるのを、今日はそっと休めてみてください。
自分を愛しいと思う気持ちは、あなたのなかに、ずっと前からあるのです。
よくある質問
Q. 自分を責めるのをやめたら、同じ失敗を繰り返しませんか
A. 責めることは反省とは違います。
反省は「次はどうするか」を考えますが、責めることは「自分は駄目だ」と断定するだけです。
自分への慈悲は、むしろ冷静に次を見る力を育てます。
Q. 自分に優しくするのは、わがままではないでしょうか
A. わがままではありません。
釈迦は「自分ほど愛しいものはない」と、自分を大切にすることから始めています。
自分をいたわる心が、人をいたわる心の土台になります。
Q. 慈悲の気持ちがわいてきません
A. 最初はわかなくてかまいません。
「あのときの私は精いっぱい生きた」と口に出すことから始めてください。
言葉にすることで、心は少しずつ、その方向に動いていきます。
自分への慈悲という、やさしい習慣を始めたい日は、数秘で今日のヒントへどうぞ。