「普通」という、目に見えないものさし

「普通はこうするものだよ」「みんな、そうしているから」。

子どものころから、私たちは「普通」という言葉を、何度も聞いて育ってきました。

結婚するのが普通。

正社員で働くのが普通。

家を買うのが普通。

気がつくと、その「普通」が、いつの間にか自分を縛るものさしになっています。

「普通から外れたら、私はおかしいのだろうか」。

そう思って、自分を責めてしまうことはありませんか。

「普通」は目には見えません。

けれど世間の空気のなかにたしかに漂っていて、知らず知らず、私たちの選択を決めてしまうことがあります。

苦しみの正体は、普通を唯一の正解と思うこと

この苦しみの正体を、二千五百年以上前の釈迦は解き明かしました。

まず、何が苦しいのか。

それは、普通という物差しに、自分の生き方を合わせようとすることです。

普通に合わせられない自分を「欠けている」と思い、合わせようとするほど、自分らしさが息苦しくなります。

では、その苦しみは何から生まれるのでしょう。

釈迦は、その根っこに「渇愛」と「執着」と「無明」を見ました。

「普通に合わせれば、安心できる。

仲間外れにされない」。

そう渇望する心が、私たちを普通にしがみつかせます。

そして「普通こそが唯一の正しい生き方だ」と思い込む無明が、その渇望を後押しするのです。

けれど、普通は本当にひとつだけなのでしょうか。

時代によって、場所によって、普通は驚くほど変わります。

だとすれば、私たちを縛る普通とは、動かぬ真実ではなく、ただの時代の空気なのかもしれません。

釈迦が最初に説いた、中道という智慧

では、この普通という物差しから、どう自由になればよいのでしょう。

二千五百年以上前、釈迦が悟りを開いて最初に説いた教えがあります。

それは、両極端を離れた「中道」という智慧でした。

当時の人々は、二つの道のどちらかに寄りかかっていました。

ひとつは、欲望の快楽にひたる道。

釈迦はこれを「世間の普通の人々の生き方」と呼び、益をもたらさないものだと退けました。

もうひとつは、自分を苦しめて痛めつける道。

これもまた退けました。

この二つの極端に寄りかからずに、釈迦は中道を歩みました。

中道とは、ものごとをありのままに見る目を開き、知恵を生み、心の安らぎへと導く道です。

この最初の説法は『相応部経典』第五十六集第十一経、いわゆる転法輪経として今に伝わっています。

「普通はこう」の苦しみに重ねてみると、この中道の教えは、とても新鮮に響きます。

普通に合わせようと、必死で自分を押し殺す。

それも一つの極端です。

反対に、普通なんてと世間のすべてを否定して反発する。

それもまた、もう一つの極端です。

中道が示すのは、そのどちらでもない道。

世間の普通に流されもせず、普通への反発にも縛られもせず、ただ自分らしい道を、自分の足で選んで歩くことなのです。

今日の小さな実践

今日から試せる、小さな実践をひとつお伝えします。

心のなかに「普通はこう」と浮かんだとき、その普通を一度だけ、そっと置いてみてください。

そして、こう自問してみるのです。

「これは、私が本当に望んでいることだろうか。

それとも、ただ誰かの普通に合わせているだけだろうか」。

問いかけてみるだけで、いつの間にか体に巻きついていた普通という糸が、ほんの少しゆるんでいきます。

答えはすぐに出なくてもかまいません。

問いを持つこと自体が、自分らしい道への一歩です。

普通から外れることを、どうか自分に許してあげてください。

普通に合わせられない自分は、欠けているのではありません。

あなたには、あなただけの道があるのです。

同じ中道の智慧は、完璧でなければダメですか? 自分をゆるす「中道」のすすめ でもお伝えしています。固く閉じた自分をほどく視点は、「自分」という苦しみ、無我の智慧が解きほぐす存在のやわらかさ もあわせてどうぞ。

よくある質問

Q. 普通に合わせないと、周りから浮いてしまうのが怖いです

A. その怖さは、とても自然な感情です。

人はもともと、群れから外れることを恐れます。

ただ、普通に合わせつづけても、心の奥の違和感は消えません。

無理に合わせるか全面反発かの二択ではありません。

自分が大切にしたいことと、周りと折り合いをつける範囲を、少しずつ見つけていく。

それが中道の歩み方です。

Q. 自分らしい道が見つかりません。どうすれば見つかりますか

A. 自分らしい道は、外に探しに行って見つかるものではありません。

まず「普通はこう」と思ったときに、それが本当に自分の望みかを問いかけることから始まります。

小さな「これは好き」「これは無理に合わせてきた」に気づく積み重ねが、やがて一本の道になっていきます。

急がなくて大丈夫です。

Q. 普通を否定することと、中道はどう違うのですか

A. 中道は、普通への反発でもありません。

普通を否定して生きるのも、結局は普通という物差しに縛られているからです。

中道は、普通という物差し自体をそっと手放すこと。

合わせるのでも反発するのでもなく、「私は私の道を歩む」と選ぶところに、本当の自由があります。

今日は、心に浮かんだ「普通はこう」を、一度だけそっと置いてみてください。それだけで、あなたの心は少し軽くなります。もっとやさしいヒントがほしい夜は、数秘で今日のヒント をそっとのぞいてみてください。