「私なんて」「どうせ私には無理だ」。
そんなふうに自分を責める声が、心のどこかで繰り返されていませんか。
願いごとを思い浮かべた瞬間に「でも、こんな私じゃ叶わない」と打ち消してしまう。
その瞬間、あなたは知らず知らずのうちに、ある「力み」を握りしめています。
自己否定は、逆向きの力み
力みというと、「絶対に叶えたい」「こうでなければダメだ」という強い握りしめを想像するかもしれません。実際、そうした前のめりの力みが願いを止めてしまうことは、多くの方が経験されています(「「必ず叶う」のに「力むと止まる」」も、よろしければお読みください)。
でも、「私なんて」と自分を小さくするのも、実は同じ力みの裏返しです。
どちらも共通しているのは、「いまの私のままでは足りない」という前提。
その前提があるかぎり、心は「変われていない自分」を監視し続け、現実の動きを止めてしまいます。
願いが動く仕組みは「すでにある」を知ることから始まります。
「ある」を知ったとき、現実はその知ったことを反映して動き出す。
ところが自己否定は「まだない」「私にはない」を何度も確認しているのと同じ。
力みがスイッチを止めるのと同じ原理で、自己否定もまた、願いを遠ざける力みとして働いてしまうのです。
「こんな私」という脚本は、過去の演目にすぎない
「私には価値がない」「どうせうまくいかない」。
それは、過去のどこかで覚えた脚本です。
くり返し演じてきたから、まるで変えられない自分の一部のように感じているだけ。
本当は、あなたのレパートリーのなかにある、数ある演目のひとつにすぎません。
大切なのは、その脚本を「変えなければ」と力むことではなく、「ああ、いま私はこの演目を選んでいるんだな」と気づくこと。
気づきこそが、演目を切り替えるスイッチです。
自己否定の脚本に気づいたその瞬間、あなたはもう観客席に一歩踏み出しています。
舞台の上で必死に演じているときには見えなかった、別の演目が視界に入り始めるのです。
今日からできる、脚本を閉じる小さな実践
自己否定の声が聞こえたとき、それを「消そう」としないでください。
消そうとするのもまた、力みだからです。
かわりに、こんなふうにしてみてください。
まず、心のなかでこう言います。
「ああ、いま『こんな私じゃ無理だ』と思ったな」。
ただ、それに気づくだけで十分です。
評価も、否定も、言い聞かせもいりません。
つぎに、そっと問いかけてみます。
「もし、いまの私のままで叶うとしたら、どんな気持ちだろう」。
この問いは、答えを出すためのものではありません。
「いまのままでも大丈夫かもしれない」という、もうひとつの演目にそっと手を伸ばすための小さなしぐさです。
もうひとつおすすめしたいのは、「すでにある」を探す習慣。
自己否定は「足りない」に焦点を当てます。
だからこそ、一日の終わりに「今日すでにあった、ほんの小さな良いこと」を三つだけ思い出してみてください。
誰かに親切にされたこと、美味しいコーヒーが飲めたこと、窓から差し込む光が心地よかったこと。
そんなささやかな「ある」を積み重ねると、心は少しずつ「足りている」の演目に馴染んでいきます。
こうした日々の小さな稽古について、さらに知りたい方には「「力み」を見つけて手放す、日常でできる5つの稽古」もおすすめです。自分では気づきにくい力みのパターンは、「誕生数が教える、知らずに握っている力みのクセ」で数字の視点から探ってみるのも手です。
脚本を閉じた先に
「こんな私じゃ叶わない」という脚本を閉じたとき、その先に待っているのは「完璧な自分」ではありません。
いまのあなたが、ほんの少しだけ力みをほどいた、そのままのあなたです。
そして、そのままのあなたが選ぶ演目こそ、もっとも自然に幕が上がる演目なのです。
自己否定の声が聞こえるたびに思い出してください。
それは「変われていない証拠」ではなく、「いま、演目を切り替えるタイミングが来た」という合図です。
気づくたびに、そっと脚本を閉じて、また今日の演目を選び直せばいい。
そのくり返しのなかで、あなたのレパートリーは少しずつ、あなたらしい輝きに満ちていきます。
自分では気づきにくい力みのクセを知りたいときは、数秘で今日のヒントを見てみるのもひとつの手です。数字がそっと教えてくれる、あなただけの「手放しどころ」があるかもしれません。