観測が現実を決める、ということ
量子の世界では、観測した瞬間に、あいまいだった状態がひとつに決まると考えられています。
複数あった可能性のなかから、ひとつが選ばれる。
これを「多世界解釈」という立場では、選ばれなかった可能性も別の現実として存在しているととらえます。
さて、これをあなたの舞台に置き換えてみましょう。
あなたが「私は愛されていない」と知っているとき、その「知っている」が観測であり、愛されない場面を現実として選んでいます。
逆に「私はもう満たされている」と知っているとき、満たされた場面が幕を開ける。
どちらも「ほんとう」なのではなく、どちらも「可能性としては存在している」のです。
あとは、あなたがどれを観測するか。
つまり、どれを「知る」か。
「知る」だけで場面が切り替わる、そのしくみでもお伝えしたように、知ることがスイッチです。作るのではなく、選ぶ。未来をこしらえるのではなく、すでにあるレパートリーのなかから「これ」と知るだけで幕は上がり始めます。
力みが、観測をにごらせる
ここでもうひとつ、大切なことがあります。
量子の実験で、観測しようとあまりに強く干渉すると、かえって自然な結果が得られなくなることが知られています。
同じように、あなたの舞台でも「こうならなければ困る」「どうしても変えたい」という力みが、スイッチをにごらせてしまうのです。
これは「対の真実」と私たちが呼んでいるものです。
スイッチは必ず働く。
けれど力みが必ずそれを止める。
観測は自然でなくてはならない。
量子の世界も、あなたの舞台も、その点ではよく似ています。
「必ず叶う」のに「力むと止まる」でふれたように、願うことと力むことは別のエネルギーです。願いは観測の手がかり、力みは観測をにごらせる雑音のようなもの。力まずに「知って」いるとき、スイッチはもっとも澄んだ音をたてます。
今日の実践:何を「知る」か、ひとつ決める
では、今日からできる小さな稽古です。
朝、目が覚めたら、その日一日の観測のしかたをひとつだけ決めてみてください。
「今日は、うまくいく」でも「今日は、ありがたいことが起きる」でもかまいません。
声に出す必要も、誰かに宣言する必要もありません。
ただ、心のなかでそっと「知って」おく。
そして一日のあいだ、それを確かめようとしないこと。
力まず、ただ知っておく。
観測はもう済んでいるのだから、あとは現実のほうが動くのを、おだやかに眺めていればいいのです。
量子の不思議が教えてくれるのは、世界は思っているよりずっと、あなたの「知る」に応えてくれる舞台だということ。
そしてその舞台は、力を抜いたときにこそ、もっとも美しく幕を開けるのだということです。
これから幕が上がる演目を、あなたは今日、何にしますか。
よくある質問
Q. 量子力学で観測が現実を決めることは、もう確かめられているのですか
A. 量子力学の観測問題は、物理学の世界でいまも活発に議論されている解釈です。
証明された事実というよりも、現実のあり方を考えるための示唆として受け取るのがよいでしょう。
この記事も、量子力学を思考実験として、日々の演目の選び方に重ねてみたものです。
Q. 知っているのに場面が変わらないのはなぜですか
A. 頭では知っていても、からだのどこかで「まだ変わっていない」と力んでいる可能性があります。
確認しようとする力みがスイッチをにごらせているのです。
まずはその力みに気づき、そっと手をひらくことから始めてみてください。
Q. 本当に知るだけで変わるのでしょうか
A. 知ることはスイッチを入れることであり、現実のほうがそのスイッチに応じて動き始めます。
あなたが何かを作る必要はなく、選んだ演目が向こうから幕を開けてくる。
ただし「まだかな」と確認すればするほどスイッチは止まってしまう。
そのやさしい矛盾ごと、このしくみなのです。