心は、まだ来ていない未来へ旅をする
将来のことを考えない日は、ほとんどないでしょう。
仕事はこの先どうなるのか。
老後のお金は足りるのか。
家族や子どもの将来は。
考えるほど、胸がざわざわします。
この不安は、あなたが弱いからではありません。
二千五百年以上前、釈迦は心の動きを観察して、あることを見抜きました。
心は、気がつかないうちに遠くへ旅をしているのです。
『法句経』に、こう説かれています。
心は遠くへ旅し、たったひとりで動きまわり、形もなく、胸の奥にひそんでいる。その心に手綱をつける人は、迷いの束縛から解き放たれます。
出典: 『法句経』第37偈(Max Müller訳, The Sacred Books of the East, Vol. X, 1881年)
「遠くへ旅する」とは、未来へ走っていく心のことです。
今、机の前に座っていても、心だけが半年後、十年後へと飛んでいきます。
からだはいつも今ここにあります。
でも心は今ここを離れて、まだ来ていない未来へ、不安を探しに行くのです。
さらに、不安の奥には「こうあってほしい」という強い望みが隠れています。
将来を確かなものにしたい。
安心を手に入れたい。
この望みが強いほど、未来を握りしめようとして、かえって不安が募ります。
まだ来ていないものは、いくら確かめようとしても確かめられません。
心は空回りして疲れていきます。
整えられた心は、幸せをもたらす
では、どうすればよいのでしょう。
釈迦の答えは、心を整えることでした。
心を整えるのはよいことだ。心は引き止めにくく、ふわふわと、気の向くままに走っていく。整えられた心は、幸せをもたらす。
出典: 『法句経』第35偈(Max Müller訳, The Sacred Books of the East, Vol. X, 1881年)
整えるとは、無理に不安を消すことではありません。
未来へ走っていった心に気づいて、そっと手綱を引き、今ここへ戻すことです。
今この瞬間に注意を向ける、この心の整え方を「正念」といいます。
そのとき、いちばん確かな足場になるのが、呼吸とからだです。
呼吸は、いつでも今この瞬間にあります。
昨日の息は吸えません。
明日の息も吸えません。
今、ここでしか、息はできません。
からだの感覚も同じです。
足の裏が床につく感覚、おなかがふくらんだりへこんだりする感覚。
それらは過去にも未来にもなく、ただ今ここにあります。
心が未来へ走っていくのに気づいたら、この呼吸とからだへ注意を戻します。
遠くへ旅していた心が、足もとへ戻ってきます。
これが、揺れる心を支える確かな足場になります。
今日の小さな実践
心がざわざわしてきたな、と感じたとき、一度だけ、ゆっくりと息を吸って、ゆっくりと吐きます。
吐く息に合わせて、肩の力がふっと抜けるのを感じます。
そして、足の裏が地面についている感覚を、ほんの数秒、確かめます。
「今、ここに立っている」と、心のなかでそっと唱えてみるのもよいでしょう。
それだけで、遠くへ旅していた心が、少しずつ足もとへ戻ってきます。
一日に何度でも、くり返せます。
将来への不安は、完全には消えないかもしれません。
でも、不安のたびに今ここへ戻る練習を重ねると、心に確かな足場ができてきます。
遠くの未来に振り回される時間が、少しずつ減っていきます。
それで十分なのです。
眠る前にも不安が押し寄せるという方は、「将来の不安に押しつぶされそうな夜に、今を生きる智慧」 もあわせてどうぞ。呼吸という足場を日常に増やしたい方は、「忙しい毎日で自分を忘れてしまうとき、ひと呼吸が連れ戻す「気づき」」 がおすすめです。
よくある質問
Q. 将来の不安がどうしても止まりません。考えないようにするほうがいいのでしょうか
A. 無理に考えないようにするより、心が未来へ走ったことに気づいたら、呼吸やからだの感覚へそっと注意を戻すのがおすすめです。
止めようと力を入れるほど、かえって不安は強くなります。
戻す練習を重ねることが、確かな足場になります。
Q. 不安を感じるたびに「また心が旅している」と思って疲れませんか
A. 気づくことは、責めるためではなく、戻るためのきっかけです。
疲れたときは、無理に戻そうとせず、ただ一回、ゆっくり息を吐くだけでも構いません。
小さな一回の積み重ねが、少しずつ心を整えていきます。
Q. この実践に、特別な場所や道具は必要ですか
A. 必要ありません。
呼吸とからだは、いつでもどこでも、あなたと一緒にあります。
電車のなかでも、家事の合間でも、眠る前でも、気づいたときに一度だけ息を確かめれば、それで十分です。
今日は、一度だけ息を確かめてみてください。それだけでも、足もとが戻ってきます。もっとやさしいヒントがほしい夜は、数秘で今日のヒント をそっとのぞいてみてください。