「あのひと言」が頭から離れない
帰り道。
電車のなか。
布団のなか。 同僚の何気ないひと言、上司の冷たい口調、部下のそっけない返事。 たいしたことではないと頭ではわかっているのに、 何度も何度もくり返し思い出してしまう。
「なんであんな言い方をするんだろう」 「私が何か悪いことをしたのだろうか」 「明日、顔を合わせるのがつらい」
職場の人間関係ですり減る心は、 ほとんどが「いま」ここにありません。 過去のできごとを反芻し、 まだ起きていない明日の不安に覆われています。
二千五百年以上前、釈迦はこの心のしくみをはっきりと見抜いていました。 『中部経典』第131「一なる吉祥の夜の経」ではこう説かれます。 過去を追いかけてはならない。 未来に期待をかけてはならない。 過去はすでに去り、未来はいまだ至っていない、と。
苦しみの正体、渇愛と無明
この「頭から離れない」状態を、 仏教では苦しみの原因として分析します。
まず「渇愛」。 「認められたい」「尊重されたい」という渇きが満たされなかったとき、 心はその傷をなめつづけます。
そして「無明」。 「私はこんなに傷つけられた」という物語にしがみつくことで、 いま目の前にある現実、たとえば窓の外の夕焼けや、 手にした温かい飲み物が、まったく見えなくなってしまいます。
釈迦は『法句経』の冒頭で、この苦しみの連鎖をこう説きました。
「あの人は私を罵った、私を打った、私に勝った、私から奪った」。そのような思いをいだく人には、憎しみは決して消えない。 「あの人は私を罵った、私を打った、私に勝った、私から奪った」。そのような思いをいだかない人には、憎しみは消える。
出典: 『法句経』第3-4偈(Max Müller訳, The Sacred Books of the East, Vol. X, 1881年)
この短い言葉のなかに、苦しみから自由になる鍵がすべて詰まっています。 問題は「何を言われたか」ではなく、 「その言葉をいだき続けている自分」の側にあるのです。
「今ここ」が育てる揺るがない軸
では、どうすればその思いを手放せるのでしょうか。
答えはとても地味で、とても簡単です。 「今ここ」に戻ること。
職場で嫌なことがあった直後、 トイレの個室でも、給湯室でも、デスクでもかまいません。 一度だけ、ゆっくりと呼吸に意識を向けてみてください。
鼻から息が入ってくる。 胸がふくらむ。 息が出ていく。 胸がしぼむ。
たったこれだけです。 過去の反芻も、未来の不安も、その数秒のあいだだけ棚に上げる。
釈迦はこの「呼吸による気づき」を、 心を今ここにつなぎとめる最も基本的な修行としました。 中部経典の教えは続きます。 今日なすべきことを、熱心に、ためらわずにやりなさい。 明日、死が来るかもしれません、と。
これは脅しではありません。 「今この瞬間が、かけがえのない一度きりのものだ」という、 とてもあたたかな真実なのです。
今日からできる小さな実践
職場で心がすり減ったと感じたら、 次の三つを思い出してみてください。
ひとつ。
誰かの言葉に胸がちくりとしたら、 「いま、私は過去を反芻している」と、 心のなかでそっと名前をつける。
ふたつ。
呼吸を三回、ゆっくり数える。 鼻から吸って、口から吐く。 それだけで心は「いま」に戻ります。
みっつ。
手にした温かい飲み物の温度を、舌ではなく手のひらで感じてみる。 「あたたかい」という感覚は、いつだって「いま」にしかありません。
繰り返すうちに、あなたのなかに小さな軸が育ってきます。 それは同僚のひと言で揺らぐことも、 上司の機嫌で折れることもない、 あなた自身の中心です。
過去を抱え、未来を怖れるのは、人間として自然なことです。 でも、そのどちらでもない「今ここ」に、 あなたの心をそっと置き直すことは、今日からできます。
関連する智慧として、人の言葉に傷ついたとき、受け流す心を育てる釈迦の言葉もあわせてお読みいただければ、さらに心が軽くなるかもしれません。
小さな呼吸から、今日という一度きりの一日を、 あなたの足もとから始めてみませんか。